上海・北外灘の旧ユダヤ人街「リトル・ウィーン」が面白い

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上海・北外灘の旧ユダヤ人街「リトル・ウィーン」が面白い

上海・北外灘の旧ユダヤ人街「リトル・ウィーン」が面白い

更新日:2015/02/20 17:30

カナマル トモヨシのプロフィール写真 カナマル トモヨシ 航海作家、船旅ジャーナリスト

開通からまだ1年ちょっとの上海地下鉄12号線。
南京東路や豫園といった観光スポットからもそう遠くない北外灘に「提籃橋(ティンランチャオ)」駅が開業しました。
実はこの駅の近くに、日本人にとってはまだまだメジャーではないけれど、急速に脚光を浴びているスポットがあります。
それが第二次世界大戦直後まで存在した旧ユダヤ人街なのです。
別名「リトル・ウィーン」というエキゾチックなエリアにご案内します。

ガイドの解説付きツアーがオススメの「上海ユダヤ難民記念館」

ガイドの解説付きツアーがオススメの「上海ユダヤ難民記念館」

写真:カナマル トモヨシ

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地下鉄12号線が開通したのは2013年末のこと。
それまでタクシーくらいしかアクセスの足がなかったため、日本人観光客もなかなか訪れなかった北外灘へも気軽に足を運べるようになりました。

そのなかでも一押しのスポットが提籃橋駅のすぐそばにあります。
ちなみに上海観光で訪れない人はいないと言われる南京東路。
ここから地下鉄10号線に乗って、次の駅「天潼路(ティエンタンルー)」で12号線に乗り換え。
天潼路の次の次が提籃橋。乗り継ぎ時間を含めても南京東路から10分ちょっとで着いてしまいます。

そこはかつて上海きってのユダヤ人街があった地域でした。
上海におけるユダヤ人の歴史は19世紀半ばにさかのぼります。
ロシアで暮らしていたユダヤ人が商売のためにやってきたのが、その最初とも言われています。

しかし、ユダヤ人街を形成するほどの人々が大挙として上海を目指すようになったきっかけはドイツで誕生したナチス政権(1933〜45年)が始めたユダヤ人迫害です。
迫害から逃れるために東・中欧のユダヤ人たちは、遙か極東の上海へ逃れてきました。
1933年から41年まで、その数は3万人にのぼると言います。

それでは、なぜ彼らにとって見ず知らずの地であり、しかも遠方の上海を選んだのでしょうか?
なぜなら当時の上海港は自由港で、人種・民族・国籍の別なく誰でも自由に出入りができたというのが一因のようです。

1930年代後半、提籃橋あたりは日本が占領していました。
日本は提籃橋地域を「無国籍難民限定居住区」と定め、ユダヤ難民をここに強制的に居住させました。
こうしてこの一帯は急速にユダヤ人街と化していきました。
ユダヤ人、と聞くと日本人はどこか縁遠いイメージを持ってしまいがちですが、上海のユダヤ人街形成には日本も深く関わっていたのですね。

さて、提籃橋駅の1番出口から地上に出て、長陽路という大通りを直進すること100メートル足らず。
そこには「上海獶太難民紀念館」の建物が見えてきます。
獶太とはユダヤ、紀念館は記念館をあらわす中国語です。
つまりここは「上海ユダヤ難民記念館」。

入口のそばにチケットオフィスがあるので、ここでまず入場券を買います。
ひとり50元(2015年2月現在のレートで約1,000円)です。
中国の物価から考えると、ちょっと高いのでは?と思ってしまいますが、それには理由があります。

実はここでの見学は、中国語か英語の案内を行うガイドがつくツアーを選べます。
45分ごとに解説ツアー開始となっていますが、訪問者が少ないときは時間に関わらず案内を行ってくれるようです。
それまで知らなかった上海のユダヤ人を通した現代史を深く理解できるので、解説ツアーはオススメです。

ユダヤ礼拝所(シナゴーグ)も見学できる

ユダヤ礼拝所(シナゴーグ)も見学できる

写真:カナマル トモヨシ

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この記念館、3つの号館から構成されています。
1号館は1928年にできたユダヤ礼拝所(シナゴーグ)を修復した建物です。
日本で暮らしていると、なかなかシナゴーグの中に入る機会などありません。
しかもこの建物の内部は写真撮影OK!
ガイドの説明に耳を傾けながら、ユダヤの人々が祈りを捧げた空間をじっくり眼に焼き付けましょう。

2号館では上海とユダヤ人の歴史についての展示が行われています。
ここでひとりの日本人が登場します。
画像左のパネルの男性。
この人は杉原千畝(すぎはら・ちうね/1900〜86年)。

第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちに対して大量のビザ(通過査証)を発行しました。
それは当時の日本外務省からの訓令に背くものでしたが、これによっておよそ6,000人(その大半がユダヤ系でした)にのぼる避難民の命が救われました。

そして彼らユダヤ難民の多くが日本滞在後、上海のユダヤ人街に向かっています。
どうしても中国の現代史では過去のいきさつから日本人は悪役として描かれがちですが、杉原のような好漢もきっちりと紹介されていることに安堵感を覚えます。

3号館では上海でのユダヤ人たちの生活とその後を伝えています。
第二次世界大戦が終わった直後の1948年にイスラエル国家が建設されると、上海のユダヤ人のほとんどが新天地イスラエルへと去っていきました。
最大3万人といわれた上海のユダヤ人も1957年には100名となり、現在では数名を残すのみと言います。

3つの建物に囲まれた中庭には、当時のユダヤ人街にあった「アトランティック・カフェ(大西洋珈琲庁)」が再現されています。
実際にここでコーヒーの注文もできます。

「リトル・ウィーン」舟山路を散策

「リトル・ウィーン」舟山路を散策

写真:カナマル トモヨシ

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上海ユダヤ難民記念館の周囲は、まさに旧ユダヤ人街となっています。
その面影を濃厚に残すのが記念館のすぐそばにある舟山路。
ヨーロッパ風の建築物が軒を並べるストリートでは、なんだか戦前のユダヤ人街にタイムスリップしたような感覚に襲われます。

上海に逃れてきたユダヤ人はオーストリア系の人々が多かったことから、彼らの故国の首府ウィーンにちなんで「リトル・ウィーン」とも呼ばれます。
上海ユダヤ人難民記念館ではパンフレットをもらってくることをお忘れ無く。
そこには旧ユダヤ人街に残る歴史的建築物の所在地が地図とともにいくつか示されています。
リトル・ウィーンを散策しながら、たとえば「アメリカ・ユダヤ人共同配給委員会(JDC)」の跡を探すというのも歴史探検の気分が味わえます。

でも、ウィーンと異名を取ってもここは中国。
レトロ感覚あふれる建物からは、にょきにょきともの干しざおが伸び、そこには色とりどりの洗濯物がつり下げられ、天空を覆わんばかり・・・。
建物には現在も人々が暮らしており、上海の庶民的な暮らしぶりを垣間見ることができます。

ウィーンをほうふつとさせる街並みと、上海のローカルな光景の交差。
こうしたギャップもまたこのエリア散策の楽しみのひとつです。

霍山公園の記念碑にはヘブライ語が

霍山公園の記念碑にはヘブライ語が

写真:カナマル トモヨシ

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舟山路の突き当たりに伸びるのは霍山路。
この一帯にも小ウィーンな建物が軒を並べます。
歩き疲れたら、霍山公園でひと休み。
この地域の人たちが太極拳に興じたり、うたを歌ったり、子供たちが駆け回ったり・・・。

どこにでもある公園のようですが、その一角に立つ石碑を探してみてください。
そこにはこの一帯が旧ユダヤ人街であったことを記しています。
上から中国語、英語、そしてヘブライ語。
上海の庶民的な町なかで、ユダヤ人の公用語を目にすることができます。

なお、この旧ユダヤ人街には、かつてここで暮らしていた人やその子孫、さらに極東にあった同胞の避難先を訪れるユダヤ人が少なくないそうです。
そういうことにも配慮しているのでしょうか。

刑務所の町からユダヤ人街のあった町へと変身中

刑務所の町からユダヤ人街のあった町へと変身中

写真:カナマル トモヨシ

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霍山公園から舟山路、そして上海ユダヤ難民記念館と、いままで来た道をもう一度逆にたどって提籃橋駅に戻ります。
北外灘は近年、再開発が急速に進んでいる地域ですが、それは地下鉄12号線の開通によって促進されたという面も持っています。
地下鉄駅のすぐそばにはレリーフがあり、「この地はユダヤ難民が暮らしていた」ということをアピールするものばかりです。

提籃橋といえば、つい最近までは「刑務所の町」だったそうです。
ここには大きな刑務所があったのですが、地下鉄12号線が開業する直前の2013年秋になくなりました。
今後は、「ユダヤ人街のあった町」「リトル・ウィーン」として観光客の誘致が進められていくでしょう。

また、地下鉄駅の1番出口からは下海廟という大きな中国寺院もすぐそば。
この周辺に多く住んでいた漁師たちの安全祈願のために造られた尼寺で、2012年に修復が完了しました。
拝観料は5元(100円)なので、旧ユダヤ人街散策の前後にふらっと立ちよってみてはいかがでしょうか?
こちらではいかにも中国といった光景が楽しめますよ。

いま、地下鉄12号線の沿線・北外灘が面白い!

地下鉄12号線で、もうひとつ忘れてはいけないのは提籃橋の隣駅でしょう。
その名は「国際客運中心」。英語名は「インターナショナル・クルーズターミナル」です。
その駅名の通り、上海クルーズターミナルまで徒歩5分のところにある地下鉄駅です。
このクルーズターミナル、日本の大阪や神戸と上海を結ぶ国際フェリーの乗降場所になっています。

これまでターミナルから南京東路など上海中心部に行くにはタクシーを利用するしかなく、旅行者にとってはあまり便のいい場所ではなかったのですが、地下鉄12号線の開通でそんな不便もすっかり解消!
しかもターミナルの周囲に緑地公園ができるなど、上海の「海の玄関口」としての観光地化がめざましいエリアです。

飛行機で上海旅行をする人には縁がなく、フェリー利用者にとっても単に下船あるいは乗船するだけの地だった北外灘は、大きく変わろうとしています。
そのシンボル的な存在が提籃橋の旧ユダヤ人街と言えるでしょう。
いま、地下鉄12号線の沿線・北外灘が面白いのです!

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/01/12 訪問

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