横浜市営地下鉄「センター北駅」から、ショッピングモールやマンションが立ち並ぶ通りをこえて、大塚・歳勝土遺跡公園の小道を歩いていくと、奥の方に尖った木の柵で囲まれた一画があります。この中が弥生時代の環濠集落跡、大塚遺跡です。
柵に設けられた門から、弥生時代の復元木橋を渡ると、広い敷地の中には複数の竪穴住居と1棟の高床式倉庫が復元されています。柵に囲まれた遺跡の中は、まわりの喧騒から離れた別世界のようです。
竪穴住居は中に入ることもでき、弥生人の気分を味わうことができます。住居ごとに少しずつ、大きさや作りが違うので、じっくり見比べてみるのも楽しいです。
高床式倉庫は、風通しを良くし、ネズミを防ぐために床が高く作られた倉庫で、世界各地で似たような建物が見られます。日本では稲を保存するために使われていたようです。
環濠集落(かんごうしゅうらく)とは、複数の建物からなる集落の周りに堀をめぐらせたもので、堀は防衛のために作られたと考えられています。
弥生時代になると、日本各地で集落の周りに環濠が作られるようになります。稲作が始まると、土地争いや水争いなどの戦争が起こるようになったのでしょうか?それとも、野生動物から身を守るための工夫なのでしょうか?
遺跡の中には、竪穴住居の「型どり遺構」もあります。柱の穴と掘り下げた面、溝があるだけで、パッと見は何だかよく分かりませんが、竪穴住居が発掘された時の状況を表しているものです。素人には、この遺構だけでは古代の気分に浸るのは難しいので、建物が復元されているのはうれしいですね。
大塚遺跡の柵を出て、子供たちがスポーツに興じている広場の向うに、方形周溝墓の歳勝土遺跡があります。大塚遺跡と同年代のもので、大塚遺跡の集落に住んでいた人々の墓地と考えられています。
方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)とは、周りに堀をめぐらせた四角いお墓のことで、古墳の一番古い形とも言われています。
また、この辺りには先土器時代、縄文時代から、奈良・平安時代の遺跡も散在しています。人々が住みやすい土地だったのでしょう。大塚遺跡と歳勝土遺跡の間には、周辺の遺跡を含めた地形模型があります。模型の上に立って、遺跡を俯瞰してみると新たな発見があるかもしれません。
遺跡の近くには、横浜市歴史博物館もあります。大塚・歳勝土遺跡の出土品だけでなく、横浜市全域の歴史に関する展示が見られます。遺跡散歩の前に、博物館で予習しておくのも楽しいです。
横浜市磯子区の高台には、縄文・弥生・古墳の3つの時代の住居跡が発見された三殿台遺跡があります。市営地下鉄「蒔田駅」または「弘明寺駅」からのんびり歩いて20分(バスもあります)、岡村小学校の脇を登ったところです。
三殿台遺跡では、3つの時代にわたる、約270軒の竪穴住居跡が複雑に重なり合って見つかりました。長期間にわたって、人々が住み続けていたということは、それだけ住みごこちが良かったのでしょう。
発掘された遺構のほとんどは埋め戻され、縄文・弥生・古墳時代の竪穴住居がそれぞれ1軒ずつ復元されています。一見同じようにも見えますが、3つの時代の住居の違いを探してみてください。
三殿台遺跡は高台にあるため、見晴らしが素晴らしいです。横浜のランドマークタワー、上大岡や東戸塚の街並み、丹沢山地など、方向によってさまざまな景色が楽しめます。空気の澄んだ日には富士山も見えるそうです。
遺跡の中には三殿台考古館という資料館があり、出土品の展示や、火起こし、土器づくり、勾玉づくりなどの体験教室も行っています。その他、発掘されたままの遺構を保存した保護棟や、事務所の収蔵室にある貝塚の剥ぎ取り標本なども見ることができます。
横浜と古代、意外な組み合わせかもしれませんが、海の幸も山の幸も豊富な横浜は、古代から人が住みやすい土地だったようです。たまには都会の喧騒を離れ、古代のロマンにひたってみませんか。
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