写真:村井 マヤ
地図を見る全長350mの巨大前方後円墳!5世紀後半の築造ですが、古墳の埋葬者は誰か不明です。そのため、これだけの大きさですが見学可能で、まるで小山に登る感覚で、階段で古墳の上まで行けます。
大正10(1921)年に陪塚とされている中小古墳6基とともに国の史跡になりました。三段築城の超巨大古墳です。写真で少し三段構造が分かるかと・・。現在古墳周辺には民家が密集していて、古墳に上がるまでは民家の小路を通りぬけて登って行きます。
古墳の上には、この周辺の集落の神社もあります。
◆造山古墳へのアクセス◆
*JR吉備線備中高松駅からタクシーで約12分
*総社駅前または備中国分寺よりレンタサイクルも利用可能です。
*駐車場あり
写真:村井 マヤ
地図を見る写真は、後円部から前方部の眺め。桜の園の向こう側に神社がありますよ。
岡山大学考古学研究室は、2008年度からデジタル測量を実施し、造山古墳に周壕跡を確認しました。この周壕跡発見が意味することは、かなりの勢力を持った人物の墓だったということです。その根拠は、古墳時代の天皇陵の多くに周壕があるため。吉備地方の王が、ヤマト政権と肩を並べる力を持っていたことを示す発見として注目されました。
そんな吉備王国の実態は、実はよく分かっていません。考えられているのは、吉備(岡山県と広島県東部を中心とした地域)に興った有力豪族による連合政権だったのではないか?ということ。
高さ30mの造山古墳頂上からの眺めは、抜群!開発が進んでいない田園の中に広がる里山の風景は、のどかでほっとします。同時に、まだ解き明かされていない伝説も多い吉備地方の大首長が治めた国ってどんなものだったのか?想像してしまいます。ロマンを感じますよ〜♪
写真:村井 マヤ
地図を見る写真は、神社の手水鉢になっている石棺です。
分かっていて、手水鉢にしたかどうかは不明ですが、なかなか大胆ですよね・・。
この石棺は、長持型石棺で阿蘇凝灰岩製の刳り抜き式です。このことから九州の豪族とのつながりが分かります。ただし、この石棺については、造山古墳で出土されたという説と周辺の他の古墳より運ばれたという説があります。
また、造山古墳には6基の陪塚があります。陪塚とは、王の臣下を葬った古墳なのですが、その中で長さ35mの榊山古墳からは、日本での出土が珍しいものがあります。「馬形帯鉤(うまがたたいこう)」というもので、いわゆるベルトのバックルのことです。主に、朝鮮半島で出土されているようで、朝鮮半島と吉備王国の結びつきを示すもの。
ちなみに石棺の蓋は、少し離れた所に置かれているというか、放置されています。無造作に置かれていてすぐ側に説明ボードがあるのですぐ分かります。その石棺の蓋には表面にうっすらと直弧文の線刻があり、内部に朱色顔料が残っています。無造作さがびっくりですが、間近で見学でき、造山古墳ならではの体験ではないでしょうか。
写真:村井 マヤ
地図を見る造山古墳には、破壊された跡や、農地として開墾された跡、築城された跡など多数あります。
特に面白いのは、戦国時代有名な高松城水攻めの際には、古墳の後円部分に毛利方の陣が築かれ、その土塁も残っている点。確かにこの古墳からですと、備中高松城など周囲を眺めることができます。
造山古墳の頂上で、戦国時代には水攻めされる高松城を眺めていたのでしょうか・・。そんな想像も思わずしてしまいます。
写真は、広場のようになっている桜の園。桜の木の下で、古の吉備王国や戦国時代へ思いを馳せるのも楽しいでしょう。もちろん、お弁当を持ってきてここでお昼もなかなかできない体験ではありませんか?時間があれば、陪塚や周辺の遺跡を巡ってみてもいいでしょう。
沢山の出土品も出ていて、吉備王国の大首長の墓と目される造山古墳の桜はいかがですか・・?なかなか美しいでしょう!
しかも、全国で第4位の巨大前方後円墳のスケールを肌身で感じることができる日本随一の場所。石棺にだって触れちゃう?!
こんな体験はなかなかできません!是非、岡山県の吉備王国ロマンを体感しに岡山へお出かけになりませんか♪
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(2023/12/1更新)
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