江戸時代の港湾施設が5つも?!広島県鞆の浦は文化遺産の宝庫

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江戸時代の港湾施設が5つも?!広島県鞆の浦は文化遺産の宝庫

江戸時代の港湾施設が5つも?!広島県鞆の浦は文化遺産の宝庫

更新日:2015/03/13 16:30

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家

広島県福山市鞆の浦は、古代、鎌倉、室町、江戸時代と栄えた港町。鞆の浦では、建築や史跡に興味がある方なら町歩きだけで十分歴史の変遷を楽しめる町です。
今回は、近世の港町がほぼ完全に残されている鞆の浦の、港湾施設を中心にご紹介します。鞆の浦の港湾都市文化遺産の素晴らしい点は、中世の面影も残しているということ。ただ、歩くだけなんてもったいない!ちょっとした基礎知識で鞆の浦の旅は、何倍も楽しめますよ!

鞆のシンボルは、国内最大級の江戸時代製・石造常夜燈!

鞆のシンボルは、国内最大級の江戸時代製・石造常夜燈!

写真:村井 マヤ

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鞆の浦のシンボルにもなっており、鞆の浦と言えば常夜燈!というほど有名な場所。常夜燈のある西町周辺の海岸線は埋め立てがあまりなく、近世の港町の風情を多く残しています。

江戸時代の港町の研究もできちゃう鞆の浦!お子さんの夏休みなどの自由研究にももってこいの題材がそこらじゅうに・・。大人から子供まで史跡めぐりを楽しんじゃいましょう♪普段なら見過ごしてしまう史跡の中に、とんでもない貴重なものがあることも多いのですよ。鞆の浦って、そんな貴重な史跡が日常生活に溶け込んで沢山あるのです。

写真は、安政6(1859)年に西町の人々によって寄進された「燈籠塔(とうろどう)」と呼ばれていたもの。石造りの高さ5m以上、基礎石からの高さは10mで、江戸時代の石造りの常夜燈では、日本最大級。航海安全の願いを込めたもので、夜は灯台の役割も果たしました。
イベントなどで、常夜燈に灯がともると幻想的で素敵ですよ。

鞆の浦の風景と言えば雁木〜大規模な雁木は、鞆の浦ならでは

鞆の浦の風景と言えば雁木〜大規模な雁木は、鞆の浦ならでは

写真:村井 マヤ

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潮の干満の差の大きい瀬戸内海の港では、「雁木(がんぎ)」と呼ばれる石階段の船着場が造られました。これによって、潮の干満の差に関係なく、いつでも船が着けられ、積荷の揚げ下ろしが可能だったのです。道路拡張で、姿を消した雁木もありますが、福山藩が文化8(1811)年に築造した大雁木は見事!こんな大規模な雁木が残るのは、鞆の浦だけ・・。これは必見!また、雁木にある船繋石も残っており、よく見ると文字が刻まれています。

雁木に座って、のんびり鞆の浦の海を眺めて見ませんか?どこか懐かしい気持ちになりますよ。

港のアクセントとしても美しい!江戸時代の波止

港のアクセントとしても美しい!江戸時代の波止

写真:村井 マヤ

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波止は、台風などの強風や大波から船を守るために、寛政3(1791)年備前児島の栄五郎という人物によって築造されました。
栄五郎築造の波止は、大可島下から50間(約90m)、淀媛神社下から20間(約36m)の2つ。

大可島から延びる波止は大波止とも呼ばれ、文化8(1811)年に、播州高砂の工楽松右衛門によって大規模修理と延長が行われ、その後現在の80間(約144m)になりました。自然石で海上に伸びている波止が港のアクセントとして、鞆の浦の景観を美しいものにしています。

弘化4(1847)年には玉津島にも波止が造られています。玉津島は少し常夜燈周辺からは遠いですが、お時間があれば散策してみて下さいね。

船番所跡の石垣も残る・・

船番所跡の石垣も残る・・

写真:村井 マヤ

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写真は、大可島の先端高台にある「船番所跡」です。鞆港への船の出入りや安全を管理するための今でいう港湾管理事務所みたいなもの。江戸時代の初めに大可島の先端高台に建てられたものです。

最初の鞆奉行・荻野新右衛門重富によって築かれた高い切り込み接ぎの石垣及び、南側の上り口の石階段が残っています。石垣の上の建物は、大正時代に建てかえられたものですが、なんだか趣があって港の風景としても魅力的です。

この番所の下から路地に入りこみバス停の方へ向かうと、「鞆ノ津ギャラリー・ありそ楼」という昔の遊郭をギャラリーにした素敵なお店などもあります。有磯地区と呼ばれたこの界隈は、所謂「遊郭街」。有磯遊郭は、江戸時代には5本の指に入ると言われたほど栄えました。鞆の浦は、にぎやかな港町だったのでしょうね・・。
「ありそ楼」については、下記MEMO「たびねす/癒される港町・鞆の浦〜歴史ある建物でくつろげる贅沢な時間」をご覧ください。

焚場は船のドック・・大型船の収容も可能な港湾施設

焚場は船のドック・・大型船の収容も可能な港湾施設

写真:村井 マヤ

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常夜燈から弓なりになった鞆の浦の海沿いに、淀媛神社のある西側へ歩いて行かれると、海側に写真のような森下仁丹マークの案内板「焚場(たでば)跡入口」があります。この細い通路を通り抜けたところが、昔の焚場跡。

潮の干満差が大きい鞆の浦は、焚場に適していました。ここでは、木造船の船底を焼いて乾燥させ、フジツボや船虫などから船を保護していたのです。また、船体の修理も行われており、今でいうドックの役割も。

元々は、砂場や岩盤を削っただけのものでしたが、寛政3(1791)年に石垣で補強し、大型船に対応できる幅100間(約180m)の焚場が造られたと伝わっています。大型船が何隻も焚場に入っていたという記録も残っています。

多くの船を誘致するには、このように港湾施設が充実していることも大切な要素だったのでしょう。鞆の浦は、潮待ちの港だったから栄えましたが、そのために沢山の施設なども建設され、多くの船に対応していたのです。
もちろん、そのための資金力、技術力も必要だったということ。鞆の浦の商人たちが住んだお屋敷を見て回ると、その豪華さに驚かされますが、港町として栄えたことを考えると納得ですね。

1000年の港町鞆の浦・・幾時代もの時を刻む

鞆の浦観光に来られましたら、是非鞆城跡に建てられた「福山市鞆の浦歴史民俗資料館」も訪ねてみて下さい。鞆の浦の伝統的建造物群保存地区散策ガイドなどもあり、鞆の浦散策をさらに楽しめます。もちろん、何の基礎知識もなく心惹かれるままに旅をするのも意外な発見があって楽しいでしょう。でも、ちょっとだけ情報収集をされたら、もっと深く鞆の浦を知ることができるのです。

特に、鞆の浦の港湾施設は、日本でも稀有な存在!当たり前のように鞆の浦の風景の一部になっていますが、貴重な史跡なのです。
後で知って、「えー?!」ってことがないように、必ず立ち寄ってカメラに収めて旅の思い出にして下さいね。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/03/10 訪問

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