飛騨高山 東山遊歩道 歴史発見の旅

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飛騨高山 東山遊歩道 歴史発見の旅

飛騨高山 東山遊歩道 歴史発見の旅

更新日:2013/07/12 12:40

初代高山城主の金森長近が、城下町の整備に伴い、京都の東山寺町に倣って町の東側の高台に寺院を建立、周辺にあった寺院を移築させたのが東山寺町です。その寺を結ぶように遊歩道が整備されています。

遊歩道は緑の多い地にあり、由緒ある寺社や文化財が点在しています。飛騨の歴史を学びながら、森林浴気分で東山遊歩道を歩いてみませんか。

雲龍寺の鐘楼門は高山城の建物だった!

雲龍寺の鐘楼門は高山城の建物だった!
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最初に雲龍寺に向かいましょう。

雲龍寺の創建は古く、養老4年(720年)まで遡ります。
今の寺は、金森長近が、本能寺の変(1582年)に19歳で戦死した長子忠次郎長則の菩提のため、建物を修復し長則の菩提寺としたものです。

この寺の見どころは鐘楼門です。一見、質素に見える鐘楼門は高山城二之丸にあった黄雲閣を移築したものです。
飛騨が天領(幕府の直轄地)になってから、高山城は加賀藩前田氏の預かりとなりましたが、元禄8年(1695年)、加賀藩によって徹底的に取り壊されてしまいました。そのため、現在の城址には、建物は全く残っていません。雲龍寺の鐘楼門は、ありし日の高山城を偲ぶ貴重な遺構です。四方から鐘楼門を見てみましょう。城の建物らしい力強さが感じられます。なお、この鐘楼門は、高山市から文化財の指定を受けています。

お勧めの写真の撮影ポイントは、参道入口付近。ここから鐘楼門を見上げたアングルは最高です。参道には四季の花が咲き、時期によって雰囲気の違う風景が見られます。

境内の散策を終えたら、大雄寺(だいおうじ)に向かいましょう。


東山遊歩道
 徒歩なら高山駅から約20分。
 自家用車なら空町駐車場か高山別院駐車場に車を置き、徒歩で約5分

京都知恩院の面影 大雄寺

京都知恩院の面影 大雄寺
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この写真の風景、どこかで見たような気がしませんか。京都の知恩院の似ていると思いませんか。この寺は本山の知恩院の伽藍を模して造られたため、似たような印象を受けるのです。京都の知恩院を思い浮かべながら、境内を散策しましょう。

この大雄寺は、もともと吉城郡上広瀬村(現高山市国府町上広瀬)にありましたが、天正14年(1586年)、初代高山城主金森長近によって、今の地に移築されました。宗派は浄土宗です。

大雄寺のシンボルである山門は市内唯一の楼門造り(二階建ての門)で、豪壮な建築美を誇っており、高山市から文化財に指定されています。また、鐘堂はこの地方最古の鐘楼で、岐阜県から文化財に指定されています。その他、観番堂など見応えのある建物があります。

お勧めの写真の撮影ポイントは、参道下の道路を横断した向こう側。山門と観番堂を入れたアングルがベスト。道路を行き来する車には十分気をつけてくださいね。

次に、素玄寺(そげんじ)に向かいましょう。

初代高山城主金森長近の菩提寺 素玄寺

初代高山城主金森長近の菩提寺 素玄寺
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素玄寺は、初代高山主金森長近の菩提を弔うため、2代城主金森可重が創建した寺院で、宗派は曹洞宗です。素玄寺という字名は長近の法号「金竜院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」に由来します。
金森長近の菩提寺ということで、寺宝には長近ゆかりのものが多く、陣羽織、軍扇、釆配、長近公肖像等が伝わっています。

この素玄寺には見どころが2つあります。その一つは、寛永12年(1635)に高山城の評定場を移築した本堂です。廃城となった数少ない高山城の遺構の一つであり、書院造の特徴が見られます。

もう一つは庭園です。東山寺院の他の寺院の庭にも見られる山麓を利用して溪流、滝、池をあしらった池泉鑑賞式庭園です。風流大名として知られる金森家の庭らしく、上品で上質な高山の武家文化を伝える庭です。庫裏に入れてもらい、庭を見ながら休憩するのもお勧めです。

なお、本堂は高山市の文化財、庭園は高山市の名勝に指定されています。

素玄寺の散策を終えたら、遊歩道を南に歩き、次の目的地、法華寺に向かいましょう。その途中、天照寺の境内を通ります。この寺の参道の四季の風景がとてもきれいです。私は参道から本堂を見上げるアングルが好きで、幾度となく、ここへ写真を撮りに来ています。時間があれば立ち寄ってみましょう。

高山城の建物が移築された法華寺

高山城の建物が移築された法華寺
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法華寺は飛騨では数少ない法華宗の寺院で、永禄元年(1558年)に開山した寺院です。

寛永9年(1632年)、加藤光正(加藤清正の孫)が当時の高山城主金森重頼に預けられることになりました。この時、加藤家が帰依する法華宗であることから、この法華寺が加藤家の菩提寺となっています。光正の死後、法華寺の裏山に墓が建てられています。現在、その墓は高山市の史跡に指定されています。

また、現在の本堂は、光正の死後、重頼がその御霊を哀れみ高山城の一部を移築したものです。そのため、本堂の外観には寺院らしい装飾は見られず、書院造りの風格が感じられます。雲龍寺の鐘楼門、素玄寺の本堂とともに、往時の高山城の姿をする貴重な遺構です。
また、本堂の横にある番神堂の力強い彫刻がとても見応えがあります。

なお、本堂が岐阜県の文化財、加藤光正の墓が高山市の史跡、番神堂は高山市の文化財に指定されています。

境内の散策を終えたら、遊歩道を更に南へ歩き、善応寺の境内を通って宗猷寺(そうゆうじ)に向かいましょう。善応寺は座禅修業ができる寺として知られています。立ち寄って、座禅修業をするのもいい思い出になることと思います。

山岡鉄舟ゆかりの宗猷寺

山岡鉄舟ゆかりの宗猷寺
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寺院や神社が多く建ち並ぶ静かな東山にあって、ひときわ目立つのが宗猷寺です。城郭を思わせるような石垣、禅宗様式と唐様式が混交した重厚で美しい外観を誇る本堂がとても見応えがあります。
宗猷寺は市内唯一の臨済宗妙心寺派の寺院で、寛永9年(1932年)、高山城主金森三代出雲守重頼、左京重勝の兄弟が、父出雲守可重の菩提のために建立したものです。初め新安国寺と称していましたが、後に重頼の法号「真龍院殿」と重勝の「徽雲宗猷居士」より、寺号を「真龍山宗猷寺」と改めました。

この宗猷寺は山岡鉄舟ゆかりの寺として知られています。江戸時代、山岡鉄舟の父小野朝右衛門は21代飛騨郡代(幕府から派遣された天領を治める役人)として赴任しており、鉄舟は幼少期を飛騨高山の地で過ごしました。鉄舟の父が宗猷寺の住職と懇意であったことから、鉄舟はここで禅学を修めました。境内には山岡鉄舟の碑と高山の地で没した鉄舟父母の墓が祀られており、鉄舟と宗猷寺との結びつきが深かったことを物語っています。また、境内にある観音堂は鉄舟寄進によるものです。

庭園は、素玄寺の庭園と同じような池泉鑑賞式庭園です。ここも頼めば見学ができますので、是非、立ち寄ってみましょう。

本堂と鐘堂が高山市から文化財に、山岡鉄舟父母の墓が史跡に、庭園が名勝に指定されています。

東山遊歩道は、季節によって目に映る風景が異なります。四季折々に訪ねてみましょう。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2013/03/05 訪問

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