創業はなんと390年!日本で一番古い飴屋さん「橋孫左衛門商店」本店の最寄駅は北陸新幹線の「上越妙高駅」より、えちごトキめき鉄道で1駅「南高田駅」です。桜で有名な高田城の最寄駅である「高田駅」からも歩ける距離にあります。
建物は1875年の物で築100年以上の立派な建物で、登録有形文化財になっています。建物の外観の特徴としては高田の町全体がそうなのですが、建物の庇(ひさし)部分が歩道にまで伸びたような造をしていて、これを雁木造(がんぎづくり)と呼びます。これは豪雪地帯ならではの工夫で雪よけのアーケードなのです。
高田はこの雁木造が全部で16キロ分も残っている事で、その長さは日本一。驚くべきは歩道だと思われる部分は実は私有地だったりします。なので雪よけの屋根は「家の庇が伸びたもの」なのです。
みんなが土地を出して道として提供している。これが雁木の素敵な部分です。ここ高田と同じ上越の武将・上杉謙信の「敵に塩を送る」と同じような助け合いの精神が今もこの町に残っているのです。
この写真はお店の2階部分の梁を写したものです。この建物は1875年に建てられました。実はその前の建物は火災で焼失しているのですが、焼失した建物の雰囲気を残して再建されたのです。この立て直した時というのが、桜で有名な高田城が廃城令によって取り壊された時です。
ところが近年この店舗の写真の梁が旧高田城の物である事が発見されたのです。高田城は失われたけれど、部材としてここに残っていたというのは大発見です!
他にも歴史の長さを感じる仕掛けが多い2階も、素敵な雰囲気の1階と建物としての見どころはとても多いです!
提供元:高橋孫左衛門商店
地図を見る橋孫左衛門商店さんのアイテムというのはどれもこれも絶品です。弥次さん、喜多さんでお馴染みの話「東海道中膝栗毛」の作者である十返舎一九が著書の中で「粟にて製したる水飴、至って上品にて風味よく此の処の名物なり。評判は高田の町に年を経て豊かに住める水飴の見世」と大絶賛しています。
十返舎一九は粟から作ったと思っている飴「粟飴」ですが、実は原料は「もち米」。創業当時(1624年)は粟やひえという雑穀で飴を作っていました。色は茶色。それから170年ほど時が進んだ1790年に四代目橋孫左衛門が原料をもち米に変更。すると淡い黄色の透明な水飴が生まれます。商品は大ヒットとなるのですが、原料を秘密にしておきたかったので「粟飴」という名のまま売り続けたと言われています。
一口食べると十返舎一九の言葉「上品で風味が良い」というのはまさにその通りであると感じる事でしょう。砂糖を一切使用していないのでしつこさは一切なく、口の中に入れた瞬間に広がる自然で幸せな甘みは「上品で風味が良い」という言葉がピッタリです。
昭和天皇が崩御の前に好んで食べたのもこの粟飴だったと言います。この飴を食べている時は幸せな気分になる。そういう絶品の味なのです!
湯に溶いて飲むのも美味しいです。美味しくて体にやさしいなんて最高ですよね。橋孫左衛門商店でのお買い物は「粟飴」と何かという形が一番オススメです。
橋孫左衛門商店さんのアイテムたちはどれを買っても美味しいので、お土産はココで決まり!という感じです。
それでも沢山ある名品からどれを買おうか?と悩まれる事になると思うので私が「粟飴」以外に特にオススメするアイテムをピックアップしてみました。
1つ目は「十五万石」です。粟飴を最中で包んだお菓子で、とても食べやすい、ありそうでなかったお菓子です。最中の中の粟飴も、単体の粟飴よりも固くなっているので溢れる事はありません。ゆっくりじっくりと粟飴の美味しさを味わえる一品で、お茶請けとしてもオススメです!
2つ目は新潟のお土産として、また夏目漱石の「坊ちゃん」にも登場し有名な「笹飴」です。これも粟飴を使ったもので、粟飴を練って固くした物を熊笹で包んだ飴です。笹の移り香と粟飴の美味しさが絶妙な1品です。
3つ目は「翁飴」です。水飴がベースでしっとりもっちりというお餅のような食感で、飴という感じのしないお菓子です。塩や味噌、かんずり(妙高の唐辛子調味料)やチョコレート、黒ごまなどの変わった味の飴もあるのですが、それらのベースも「翁飴」です。
建物は素敵で風情がある。美味しいお土産もある。橋孫左衛門商店は旅の要素として申し分ありません。高田の町自体、古い物が沢山残っていて風情を感じる事が出来るので、とてもオススメのスポットです!
食べたら幸せな気分になれる最高の飴を食べに上越妙高へ是非!
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(2024/12/14更新)
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