今から400年ほど前。豊臣秀吉の家臣である、日根野織部高吉によって建築された「高島城」。当時は諏訪湖の水が城間際まであり、攻め入ることが困難だったことから、とても堅牢な城として有名でした。また、諏訪湖畔に浮かぶ島のような出で立ちだったため、別名「諏訪の浮城」とも呼ばれ、広く親しまれてきました。
高島城は今から約400年前の1590年、豊臣秀吉の家臣日根野織部高吉によって設計され、1598年に完成した歴史ある城として知られています。しかし、江戸時代に入ると日根野氏は転封(領地を離れること)となり、約270年もの間、諏訪氏がこの地を納めることとなります。
また、見るからに美しい水辺の城ですが、実は意外な使い方も江戸時代にはされていました。それが、「流罪人の監禁場所」。江戸においては陸地から離れた高島城は、悪人を捕らえておくのに最適な場所だったのでしょう。
難攻不落ともいわれた高島城ですが、「入る」のも「出る」のも決して容易ではない場所だったのかもしれません。
明治以降は一時石垣と塀のみとなり、1876年に「高島公園」として一般開放。1970年に入って、市民の熱望によりようやく天守や櫓(やぐら)などが復原され、当時の面影を取り戻しました。
今では、高島城の歴史を伝える資料室として1階・2階が使用され、3階は展望室として活用されており、長野県の観光地として知られています。
展望室からは、「浮城」の由来となった諏訪湖や、富士山を一望することが可能。一度は葬り去られた高島城ですが、400年昔の当時も同じ景色を眺めていたのかと思うと、どこか感慨深い気持ちになるものです。
天守閣に次いで見所といえるのが、本丸跡に開放された「高島公園」。
ここでは、四季折々の美しい花や木々を楽しむことが可能。春になるとソメイヨシノを中心にしだれ桜・彼岸桜など約90本の桜が咲き乱れ、桜の名所としても知られています。
また、公園の中央には市の天然記念物に指定された樹齢約130年のフジがあり、5月になると立派な花を魅せつけます。この景色はまさに圧巻といえ、訪れる方々を魅了し続けています。
更にもうひとつ、高島城でぜひ足を運んでいただきたいのが、「高島城亀石」。これは、元々城内の庭園にあった物ですが、廃却時には場外に移されていました。しかし、平成19年になって約312年ぶりに高島城へとようやく帰ってきたのです。この石に残された「(亀の背中のように見える部分に)水をかけると、願いが叶う」という言い伝えもとてもユニークで、現地ではそれを実践することも可能。ちょっとした願掛け気分で、試してみるのもお勧めです。
静かに歴史を語り続ける、高島城。園内を散策すると、美しい自然に心動かされる瞬間や、意外な歴史に耳を傾けたくなるときも…。シーズンによって違った雰囲気を堪能できるのも、長野県ならではの魅力といえ、冬になると深い雪に覆われた真っ白な風景に出会うこともできます。お城としては有名な場所ではありませんが、観光客も少なく心行くまで楽しめるスポットですので、ぜひ足を運んでみてください。
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(2024/10/14更新)
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