写真:井伊 たびを
地図を見る脇参道中ほどに立つ鳥居をくぐる前で、まず一対目を見つける。「岡崎古代型」で、昭和12年(1937年)9月建立。石匠・長田弘とある。
鳥居をくぐり、進み行けば二対目のこの狛犬が出迎えてくれる。
大正4年(1915年)11月建立。御大典紀念。石工・須藤音吉。など、台座から読みとれる。さほど古いものではなく、彫りもそんなに深くはないが、江戸狛犬の特徴がよく出ている。
頭デッカチながら、落ち着いた風貌に好感を抱くファンも多いだろう。ところで、尻尾の先が台座にかかっているところを、見落とさないようにしたい。臨場感を表そうとした石工・須藤音吉のこだわった箇所だ。
写真:井伊 たびを
地図を見るこの大きな獅子山は、境内のほぼ中心部に位置する。明治15年(1882年)6月15日建立。石彫工・木村藤兵衛とある。
獅子山のお手本のような、見事な出来映えだ。山そのものにボリュームがあり、阿吽ともに躍動感が満ちあふれている。そもそも江戸獅子は、派手さや流麗さを競う方向で発展したようたが、行き着いたところがこの「獅子山」という豪華版で、江戸末期あたりから、戦前あたりまで好んで作られた。
ところで、獅子山には必ずと言っていいほど、子獅子が一緒にいる。子獅子は吽形に一頭、阿形に二頭。子獅子はあまり目立たないので、じっくりと鑑賞したいものだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る弘化3年(1846年)丙午歳3月吉日建立とある。典型的な江戸獅子の風格に見入ってしまう。当神社の狛犬として、二番目に古いものだ。
制作年代と並んで、彫師の名前が彫られているが一般的だが、阿形と吽形の奉納者が別のようだ。阿形が安兵衛、吽形が勘兵衛。それぞれの肩書きとして「大工」とあるので、ご両人が制作者であったのかは不明だ。
この流れる鬣と尻尾は、江戸狛犬の特徴。それぞれの曲線が、いかに「石」を感じさせないほど柔らかく彫れているかが、制作者である石工の腕の見せ所でもある。
写真:井伊 たびを
地図を見る延宝3年(1675年)6月吉日建立で、現時点では東京都内で二番目に古い石造参道狛犬である。ちなみに、最も古いものは目黒不動尊の狛犬(1654年)とか。
いわゆる「はじめタイプ」に分類されるが、その中では比較的に大きい方だ。シンプルで小型ながらも、貫禄十分な力強さが感じられる。いい仕事シテマスね〜!って感じだ。
1600年代の「はじめタイプ」には、腹の下をくり抜いていない稚拙なものが多いのだが、この子はしっかりくり抜いてある。また、紐状の尾の粋なデザインや、洒落た巻き毛の処理などもじっくり鑑賞したい狛犬だ。
ところで、この子の頭頂部が窪んでいるのだが、これは江戸初期から中期にかけての狛犬では、むしろ一般的ともいえる。それには諸説あるようだが、明かりを灯すための燭台代わりに使っていたのだという説が最も有力である。
それにしても、この愛くるしい表情を眺めていると、ますます狛犬への愛好度が深まる。
写真:井伊 たびを
地図を見る文政8年(1825年)6月建立の狛犬だ。台座にはっきり「文政八乙酉」の文字が読みとれる。ここ稲荷神社は、昼間でも薄暗いところで、つい見落としがちだが、見つけだす楽しみがある。
現在は縦置きで据えられているが、阿吽が左右逆になっていることや、頭の向き方などからして、かつては横置きだったと推察される。多分、縦置きに変更した際に、左右逆転させてしまったのだろう。
赤坂氷川神社には、七対の狛犬と二対のキツネが見られる。その狛犬は、それぞれバラエティに富んでいて、さながら「狛犬カタログ」のようでもあり、まさしく「狛犬のデパートや!」と叫びたくなる。
ところで、六対までの狛犬は、お子さまでも簡単に見つけ出せるのだが、残りの一対の狛犬がなかなか手強い。さて、どちらに隠れているのだろう?是非、発見に挑戦してみてはいかがだろう?
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(2023/12/3更新)
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