春の高山祭りは、高山市城山に鎮座する日枝神社の例祭です。秋に行われる桜山八幡宮の例祭とともに、高山祭りと呼ばれています。祭りの起源は古く、江戸時代前期。約400年の歴史を誇る高山祭りは、京都市の祇園祭り、埼玉県の秩父夜祭りともに、日本三大美祭に数えられています。
高山駅に着いたら歩いて10分ぐらいかかりますが、お旅所前(陣屋前広場近く)に行っていただくと、祭り気分が一気に高まることでしょう。
お旅所前には神楽台と3台のからくり屋台が曳き揃えられています(この2日間だけ同地に曳き揃え)。両日とも神楽台の周りでは獅子舞を披露。からくり屋台では綱方(からくり人形を操る人)によって趣深いからくりが行われ、その人形の艶やかな動きに、多くの観光客が歓声をとばします。せっかく高山祭りに行って、からくり奉納を見ないで帰るわけには行かないので、人は多いですが、いい場所を確保して存分に楽しみましょう(からくりは1日2回行われます)。
4台の屋台は、江戸時代、飛騨の匠と呼ばれた名工たちが造りあげたもので、装飾、彫刻などとても見応えがあります。この4台の中では、特に、神楽台の獅子彫刻(名工谷口与鹿の作品)が見る人の目を引きつけます。必見です。一台一台の屋台をじっくりと見て歩きましょう。
からくり奉納
14日 お旅所前にて 午前11時頃と午後3時頃
15日 お旅所前にて 午前10時頃と午後2時頃
詳しいことは、高山市観光情報などのホームページで確認してください。
なお、雨が降っているとき、雨が降りそうなときは、屋台から曳き出されません。14、15日の何れかの日に屋台を見るという予定にして、14日は宿泊されることをお勧めします。
からくり奉納の時間は、意外に長くて3台合わせて1回50分とたっぷり楽しむことができます。網方は1人でなく数人が協力して人形を動かすため、想像されているよりもきっと複雑な動きをすることでしょう。ただのからくり人形だと思っていると、あまりに濃密な演技に、驚かれること間違いないですよ!
では、簡単にですが1体ずつのからくりについて話していこうと思います。
石橋台のからくりは、23本の細綱で操るからくりです。濃艶な美女が踊っているうちに、獅子に変身し狂ったような動きをします。また元の姿に戻り、両手に牡丹の花を持って千秋万歳と舞い納めるという構成です。美女の静かな動きと獅子の激しい動きが対照的です。
三番叟のからくりは、25本の細綱で操るからくりです。写真のようなかわいい童子(童形の三番叟人形)が所作を演じます。童子が翁に変身。そして、謡曲「浦島」にあわせて舞うというものです。童子から翁に変身する瞬間、会場から大きな拍手が沸き起こります。
龍神台のからくりは、32本の細綱で操るからくりです。唐子が機関樋(きかんどい 上部に突き出た棒 からくり人形を操作する綱を収納)の先端に運んだ壺の中から、突然赤ら顔の龍神が紙吹雪をあげて現れ、荒々しく舞います。龍神の荒々しい動きが見ものです。
からくりを操る技術は、屋台組の人々によって、代々受け継がれてきたものです。熟練した技術が必要で、祭りの前には幾度となく練習をされるそうです。
からくり人形は江戸時代の初め、徳川家お抱えの和時計師によって尾張の地で誕生したと言われています。それが高山に伝わり、屋台に取り入れられました。高山の名工たちが持っていた優れた技術を背景に、屋台組はお互いに人形の動きの巧みさを競い、現在のようなからくりになったということです
観光客ばかりでなく地元の高山市民にとっても、からくり奉納を見ることは大きな楽しみの一つです。
また、市内には、からくりを紹介したミュージアムがあり、人気の観光スポットとなっています。
お旅所前でのからくり奉納を見た後は、近くの道路に曳き揃えられている屋台も見に行きましょう。
装飾や彫刻は屋台によってかなり違いますが、どの屋台も装飾が美しく、見応えがあるものばかりです。屋台の全面に渡って、さまざまな装飾が施されているので、いろんな角度から見てみましょう。
陣羽織や裃姿(かみしもすがた)で屋台の警備をされている屋台組の方に声をかけると、屋台の歴史や特徴、屋台を維持するための苦労などを語ってくださいます。このような服装の方に説明をしていただくと、厳かな気分になり屋台の文化に直に触れ合えた気になります。
さて、これだけ目にも感動を与えてくれる屋台ですから、記念に写真に収めたいですよね。そこで飛騨高山に実際に住んでいる私が、オススメの撮影ポイントをお教えいたしましょう。それは中橋の川下にある筏橋(いかだばし)の上です。
ここから、赤い中橋の上を屋台が通るチャンスをねらってシャッターを切ると、最高の写真が撮れます。桜の花が咲いていると、より一層素敵な写真になりますよ。
他に屋台の魅力の1つに、名工が精魂こめて彫り上げた彫刻があります。普段から、あまり工芸品に興味のない人も「すごい!よくこんなふうに彫れたものだ」という感嘆の声をあげることは間違いないでしょう。
どの屋台にも彫刻が施されていますが、特に、名工谷口与鹿が彫り上げた神楽台獅子彫刻、麒麟台唐子群遊彫刻(写真)、恵比寿台獅子彫刻、村山勘四郎が彫り上げた石橋台の獅子彫刻、立川和四郎が彫り上げた五台山の飛び獅子彫刻は必見です。驚きと感動、発見があることと思います。
こうした名工たちの技術は、現代の名工たちに受け継がれています。100年に数回行われる修理を通して、現代の名工たちは時を越えて、先人からその技を学び、自分の技に磨きをかけます。屋台の修理は、その美しさを保つだけではなく、伝統技術の継承という大きな役割を果たしているのです。
4月14日の夜になると、各屋台は100個にも及ぶ提灯を灯し、闇の中を曳き回されます。屋台が動くたびに灯った提灯が揺れ、昼とは違った幻想的な雰囲気に包まれます。
提灯を灯した屋台は、町の中を一巡して、お旅所付近で曳き別れ、赤い中橋を渡り、それぞれの屋台蔵へ向かいます。曳き別れの際、屋台に乗っている子どもたちが「高い山から、谷底見れば 瓜やなすびの花ざかり あれもよいよいよいよい これもよいよいよいよい・・・・」 と、哀愁漂う曳き別れ唄を歌います。やがて、そのメロディーが屋台とともに闇に吸い込まれるように消えていったとき、夜祭りの終わりとなります。
今回は、屋台を中心に春の高山祭りを紹介しましたが、闘鶏楽(とうけいらく 鳳凰や鶏など鳥文様の衣装を身にまとい鉦を打ち鳴らします。地元では「かんかこ」と呼んでいます。)、雅楽、裃姿の警固(けいご 神輿の前後など要所で警備にあたる人)など伝統の衣装に身を包んだ総勢数百名の大行列が、お囃子や雅楽、闘鶏楽、獅子舞などを披露しながら町をゆっくりと巡ります。屋台と併せて、御神幸の行列も、是非、ご覧になってください。
さて、春の高山祭りの屋台12台は、秋の高山祭りの屋台11台とともに、昭和35年に国の重要民俗資料に指定され、昭和54年には、祭り行列、行事が国の無形文化財に指定されています。それは、長い間、祭りを愛する人々が、伝統を大切にし、祭りという文化、屋台の維持に必要な技術を継承してきた結果であり、また、今も多くの人によって、祭りの伝統が守られています。そんな人々の心にふれることによって、高山祭りの見方が変わってくることと思います。祭りの伝統を守っている人たちを応援しましょうね。
春の高山祭りは曜日に関係なく、毎年4月14日、15日に行われます。平日でもかなり混雑しますので、宿泊する場合は早めにホテルや旅館を予約されることをお勧めします。
また、祭り期間中は、祭りの区域内の駐車場は使えません。自家用車でお越しの方は、予め使える駐車場の場所を確認しておきましょう。
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(2024/12/5更新)
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