写真:SHIZUKO
地図を見る大阪の中心部を流れる大川(旧淀川)は、四季折々、一年中楽しめるリバーサイド。日本三大祭・天神祭りの船渡御の船が行き交う様子は、全国区の夏の風物詩。その賑やかな姿は、大阪が水都であることを私たちに教えてくれます。
川から大阪を楽しむリバークルーズも大人気。桜の季節には、この期間限定の『大川さくらクルーズ』が運航されます。
大川端の春は、ソメイヨシノが咲き乱れ、それはそれは美しい情景。両岸に咲き誇る桜の数は約4700本。水面近くまで垂れ下がる枝にビッシリと咲く桜。緩やかな流れの川面にゆったりと浮かぶ花びらもとても可憐。
大川は、淀川の分流で、毛馬水門で淀川から分かれて南へ向かいます。この川が北区と都島区の区境になっています。都島区側には、その名も『桜の宮公園』という桜の名所があり、北区側には『大阪造幣局』があり、こちらも『桜の通り抜け』で有名な八重桜の名所となっています。
そして、大阪城の北側で西に流れを変え『天満橋』をくぐると、堂島川と土佐堀川に分かれます。その中州が、大阪市役所や中央公会堂のある中之島。江戸時代には諸大名の蔵屋敷が立ち並び、明治になってからは日本銀行大阪支店が設置されるなど、大阪を天下の台所にした経済の中心地です。現在も川と豊かな緑が一体となって、オフィス街でありながら潤いのある美しい景観を作り出しています。
写真:SHIZUKO
地図を見る『大川さくらクルーズ』の出発地は『八軒屋浜船着場』。
船は、八軒家浜を出発して、OAP港⇒中之島剣先と巡り、再び八軒家浜に帰ってきます。船に乗っていると、時間の流れが少しゆっくりになるみたい。バタバタと忙しく動き回る陸上とは、全く別の気分になれます。
出発して、天満橋をくぐり、しばらくすると写真の上部左手に写っている『川崎橋』に到着します。高い塔から多くのケーブルを出して桁を吊った斜張橋という美しい形式の橋です。この川崎橋をくぐる辺りは、ご覧の通り川がカーブしているので、船が進むに連れて、写真正面に位置に、桜の帯がどんどん広がっていくクルーズならではの風景を楽しめます。
橋を越えて、両岸に咲き誇る桜に酔いしれていると、船は、高層ビルがたくさん並んでいるOAP港へ寄港。大阪アメニティパーク(OAP)にある帝国ホテルのそばの港です。高級感漂うこの辺りは、大阪っぽくない景色です。
ホテルからのお客さんをのせ、船は再び天満橋を越え、中ノ島剣先へ向かいます。中ノ島剣先とは、大川を2つに分ける中ノ島の東端で、尖っているので『剣先』と呼ばれます。安藤忠雄の構想による噴水が設置されていて、大きな噴水は、毎時0分と30分に美しいアーチを描く仕掛けになっています。
運よく噴水を見ることが出来るといいですね。その後再び船着場に戻ります。
写真:SHIZUKO
地図を見る船が出る八軒屋浜は、平安時代から、熊野詣の出発地として栄えていました。京都・伏見から船で到着した都人が、熊野を目指して歩き始めた場所なんです。その名が示す通り、当時周辺に八軒の宿があったということです。
江戸時代になると、旅客専用の三十石舟が就航し、淀川はますます重要な交通路となりました。多いときには162隻の船が行き交い、一日9000人もの人が往来したというのですから、当時としては、日本の最も重要な交通機関であったといえます。
しかし、明治期になって蒸気外輪船や鉄道が普及し始め、淀川の交通路としての役割は終わってしまいました。それと同時に市内各所に縦横無尽に広がり、人々の生活を支えていた川や水路も役割を失ってしまいました。街中の川は、汚されて、見向きもされなくなってしまい、埋め立てられてしまったところも多いようです。
1960年代になって、市内に土地が確保できないという理由で、堂島川に阪神高速道路が作られるなど、川は無用の長物として不遇の時代を迎えました。
そんな時期もありましたが、1979年には道頓堀川で歌舞伎の船乗り込みが復活したり、水質改善策がとられるなど、水辺が再び見直されるようになりました。
そして、とうとう2008年に、歴史的背景を踏まえ、水の都・大阪にふさわしい水陸交通の拠点として、京阪・天満橋駅に直結する八軒屋浜船着場は作られました。3艘の観光船が着岸できる船着場には、さまざまな観光クルーズ船がやってきます。また、川沿いには遊歩道も整備されていて、天神橋までゆったりとリバーウォークできるようになっています。
もう一度大阪が、素晴らしい水の都になれるように、多くの人に大阪の川を愛してもらうことが大事ですね。そのためにも、まずは大川にお出掛けいただければ嬉しいです。
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(2023/12/7更新)
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