本所深川・江戸散歩〜紀文や芭蕉が住んだ街・清澄白河

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本所深川・江戸散歩〜紀文や芭蕉が住んだ街・清澄白河

本所深川・江戸散歩〜紀文や芭蕉が住んだ街・清澄白河

更新日:2015/04/22 14:32

Mayumiのプロフィール写真 Mayumi フリーライター

最近では有名コーヒーブランドの進出もあり、アートな街として注目をあびる東京・清澄白河(きよすみしらかわ)。しかし、清澄白河の魅力はそれだけではありません。深川と言われたこのエリアは、江戸情緒が其処ここに残る懐かしい街でもあります。今回は江戸散歩と題して、清澄白河駅から徒歩5分で行ける見所をご紹介します。時代劇にもたびたび登場する江戸の下町深川を肌で感じてください。

豪商紀伊国屋文左衛門も住んだ清澄庭園

豪商紀伊国屋文左衛門も住んだ清澄庭園

写真:Mayumi

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東京には昔は大名屋敷だったという土地があちこちにあるわけですが、「清澄庭園」にも久世大和守という下総(現千葉県)の大名の下屋敷がありました。それよりも前の時代には紀州の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷があったとも伝えられています。近くに紀文大尽のお墓がありますので、あとでご紹介します。

池を中心に一巡りすると、磯渡り、名石、野鳥/亀、涼亭などこの庭園のおすすめポイントを堪能できる回遊式林泉庭園となっています。池の周りは遊歩道で歩きやすくなっていますが、ところどころ池に踏み込んだところに石を配して歩けるようにしてあるのが磯渡りです。大きくてどっしりした石なので安心して歩けます。

また石と言えば、明治期にこの庭園を所有していた岩崎家によって全国から集められた「石」が随所にありますので、こちらもご覧ください。石もその土地によって特徴があることがわかります。

南端のほうには、芭蕉の句碑がつつましく佇んでいます。
「ふるいけや かわずとびこむ みずのおと」
芭蕉は深川に住んだことがあるので、それにちなんで建てられました。

清澄庭園の見どころはまだまだ書ききれませんが、「亀好き」な方ならリピーターになってしまうかもしれませんよ。

深川江戸資料館 江戸時代にタイムスリップ?原寸大の町が面白い!

深川江戸資料館 江戸時代にタイムスリップ?原寸大の町が面白い!

写真:Mayumi

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このエリアの最大の見どころといえば「深川江戸資料館」。この資料館の一押しは原寸大で作られたリアルな江戸の町並みです。
階段を降りてゆくと、長屋や八百屋、船宿など一つの「町」(深川佐賀町)が出現します。
長屋の腰高障子には住人の名前が書かれていたり、台所や階段も細かいところまで江戸の住まいが忠実に再現されていて見入ってしまいます。

それにしても、これで原寸大?と思うほど狭いです。江戸時代の人が現代人より小柄だったことと、畳に座る生活なら幅をとらないからでしょう。家財道具もすべて職人の手作りですから、一度手にした物は生涯使うつもりで大切にしていたのではないかと思います。生きていくためにどうしても必要な物って、ほんの少しでよいのですね。
「起きて半畳 寝て一畳」という先人の言葉を思わずにはいられません。

みかん船から出世街道を駆け登った豪商・紀伊国屋文左衛門の墓

みかん船から出世街道を駆け登った豪商・紀伊国屋文左衛門の墓

写真:Mayumi

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この辺りを散策していると、思わぬところで有名人のお墓や記念碑などに遭遇します。一般住宅の脇にポツっとあったりするので、「見つける」という面白さがありますね。

紀州の豪商紀伊国屋文左衛門のお墓は、駅から清澄通りを200mほど南下して左に曲がった先にあります。「成等院(じょうとういん)」というお寺なのですが、紀文のお墓は道路に面して在るので、すぐに見えます。

上の写真の中央にある立派な石は記念碑で、お墓ではありません。写真では日陰になっていて分かりづらいですが、お墓は記念碑の左にある古い小さな方です。
一艘のみかん船から始まり、材木を扱って大商人となった紀文。一代で財をなし一代で潰したと言われる伝説の人物の小さなお墓です。

大きなお地蔵さまが目印 松平定信ゆかりの霊巖寺

大きなお地蔵さまが目印 松平定信ゆかりの霊巖寺

写真:Mayumi

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駅から徒歩3分、「霊厳寺(れいがんじ)」にもお参りしましょう。
見上げるほどの大きなお地蔵さまが座っていらっしゃいます。1717年に造られ、江戸六地蔵の第五番のお地蔵さまですが、赤い涎掛けが可愛い。

本堂に向かって左側奥には江戸時代後期の老中、「寛政の改革」で有名な松平定信のお墓があります。このあたりの「白河」という地名は松平定信が陸奥白河藩主だったことに由来します。

このお寺、もとは現在の中央区新川あたりにあったのですが、幕府の防火対策によってこの地に移転しました。寛永元年(1624年)、雄誉霊巌上人により開山された浄土宗のお寺です。

出世不動尊!

出世不動尊!

写真:Mayumi

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「出世?!」「誰だって現世の御利益はありがたいよね」などとつい思ってしまいがちですが、やはり少し違うようです。「出世」とは解脱して悟りをひらくことで、僧侶のことを「出世者」とも言います。「会社で出世したい」などというときの「出世」はこの言葉が語源だそうです。

「出世不動尊」は、霊厳寺とともにこの地に移転してきました。霊巖寺のすぐ前にありますので、現世のご利益も含めてお参りしてみては。

本所深川ってどんなところ?

「本所深川」は隅田川以東の広い地域で、江戸時代初期にはまだ下総の国(今の千葉県)の一部で、江戸府中ではありませんでした。しかし江戸の町が発展するにつれ土地が足りなくなり、開拓されたのです。

なぜ土地が足りなくなったのか?
それは人口が増えたからですが、もう一つ大きな理由があります。江戸といえば何度も大火に見舞われた災害の町。木造の建物が密集しているから、どこかで火事が起これば地域を嘗め尽くしてしまいます。
そこで幕府は延焼対策として空き地(火除け地)をつくることにしました。手っ取り早いのは大きな敷地を占める寺社や武家屋敷を郊外に移転させることだということで、霊巖寺もそのような事情で移転してきたといいます。

清澄白河の見どころ、いかがでしたか?
新しさと古さが共存する街を歩いていると、ずっと昔から人々の生活が続いてきたことを実感します。是非おでかけください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/02/15 訪問

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