写真:bow
地図を見る『神泉苑』は平安京遷都の794年、桓武天皇が平安京大内裏の南東にあたるこの地に皇族の為の庭園・禁苑として造営したもの。清らかな泉が常に湧き出ていたことから『神泉苑』と命名されました。
今でこそ小さな敷地ですが、二条城もかつては『神泉苑』の中に収まっていたほど完成当初は広大な敷地だったそう。庭園の中心には大きな池があり、そこで皇族が船遊びなどを楽しんだとされています。実はこの地で嵯峨天皇が桜を愛でる為に楽しんだ宴会が「花見」の起源ともされています。
そんな『神泉苑』も後に徳川家康によって二条城が造営された際、規模が大幅に縮小され、現在のようなこじんまりした敷地へとなったとされています。
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地図を見る『神泉苑』は庭園として造営されたものの、時と共に天皇の宗教儀式の場へと変化していきます。日照りが続いた際、東寺の弘法大師空海により雨乞いの儀式が行われ、その法力により水をつかさどる龍神「善女龍王」が招かれ、雨乞いに成功したとされています。現在も龍神は「善女龍王社」として池の中心に祀られています。
また貞観年間には平安京で疾病が大流行。当時は疫病が流行るのは恨みを残して死んだ人の”御霊の祟り”であるとされており、その御霊を鎮める為に『神泉苑』で行われたのが、池に鉾を立てて厄払いをしたという御霊会。
この御霊会は後々に町衆へと伝わり、鉾に車を付けて飾りを施して練り歩くという「祇園祭」になったのです。「祇園祭」が疾病を治める為に始まったとされているのは『神泉苑』の御霊会のことを指しているのです。
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地図を見る『神泉苑』の一番のパワースポットは朱塗りが目に鮮やかな「法成橋」。この橋を本殿側から渡る時、一つだけ願い事をしながら歩き、その後に「善女龍王社」に参拝すると願いが叶うといわれています!ただし、願い事は一つだけなのでご注意を!
ちなみにこの「法成橋」の名前は弘法大師空海が雨乞いをした際に「法力」によって「成就」したことに因んで「法成橋」と名付けられたそうです。弘法大師さまのお力も借りて心願成就となるでしょうか!?
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地図を見る日本で唯一とされる歳徳神を祀っている「恵方社」は、訪れる年によって向きが変わっている不思議な祠。おわかりかと思いますが、その名の由来は”恵方巻”と同じ恵方社。良く見ると台座が回りそうな形になっていますが、毎年大晦日の夜に翌年の吉方位・恵方へ祠の正面が向けられるのだそうです。
その年の福徳を司るという歳徳神に参拝すれば、一年間の幸せなどのご利益があるといわれています。
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地図を見る龍神を祀っていたり、恵方社がある『神泉苑』ですが、実はお寺の扱い。前述のとおり、弘法大師空海が雨乞いをしたという由緒から現在も『神泉苑』は東寺の管理になっていて、現在も真言宗東寺派のお寺なのです。本尊は聖観世音菩薩、不動明王、そして弘法大師。
また、「ゴイサギ」と呼ばれる鳥はこの『神泉苑』で名前が付いたともされています。醍醐天皇が『神泉苑』で羽を休めていた鷺を捕えようとしたところ、飛び立とうとしました。しかし、召使いが「帝の御意なるぞ」と声をかけるとその鷺は地にひれ伏したそう。天皇はそれを大いに喜び、その鷺に「五位」の位を送った。つまり「五位鷺」というのが名の由来なのだそう。
他にも源義経と静御前の出会いの場であったなど、『神泉苑』の伝説は枚挙に暇がありません。
『神泉苑』の面している通りは「御池通り」と言います。祇園祭の山鉾巡行や時代祭が練り歩く「御池通り」の名は『神泉苑』の池から来ているもの。マイナーなスポットではあるものの、平安京最古の庭園である『神泉苑』は京都にとっては根深い存在なのです。
様々な伝説の残る『神泉苑』は二条城の目と鼻の先です。遠く平安時代に思いを馳せながら、龍神様に願い事を託しに訪れてみてはどうでしょうか?
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(2023/12/6更新)
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