写真:小林 理沙
地図を見るセルベヨン/セルベジョン伯爵宮殿 (El palacio de los Condes de Cervellón / Palau de Cervelló)は18世紀に建てられました。パステル調の黄色いファサードは、建設の中で唯一当時の状態を保っています。
一見、規模は大きいとはいえ、質素な印象を受ける建物ですが、一歩足を踏み入れると、地味目な表の印象を覆す広々とした石畳の中庭が広がります。建物の階段を上ると、もうそこは、宮殿の名にふさわしい内装が施されたきらびやかな世界!
写真:小林 理沙
地図を見る建物内のセラノ・モラーレス図書室には、バレンシア市に寄贈された書物が保管されています。寄贈主は本の収集家だったセラノ・モラーレス氏(1851-1908) 。当時、バレンシアで最大数の書籍を所有していたということです。
本のジャンルも多岐にわたっています。なかでも、19世紀の『バレンシアの印刷事典』は、当時の活字体を知れる希少価値の高いものとされています。
図書館内は、おびただしい数の本のみならず、見事な細工が施された木の彫刻もあり、驚きを与えてくれること間違いありません。
写真:小林 理沙
地図を見る見学できるスペースでは、一番豪華な場所です。
贅沢に美しい布で覆われた壁には、たくさんの肖像画が飾られています。シャンデリアの灯りで映し出された絵のモデルは、スペインのボルボン/ブルボン朝の貴族。
このセルベヨン伯爵宮殿は、ボルボン家とゆかりがあります。王様を始めとする貴族が滞在しました。現在のスペイン王室もこのボルボン家ですが、宮殿には、前国王フアン・カルロス1世の肖像画まで飾られています。
写真:小林 理沙
地図を見る豪華な廊下の突き当たりに飾られた肖像画の人物は、スペイン王フェルナンド7世です。
フランス皇帝ナポレオンによる戦争にヨーロッパ全土が巻き込まれていた頃の1808年に、スペイン王フェルナンド7世として即位しました。しかし、フランス皇帝ナポレオンにより退位を強要させられ、フランスのヴァランセ宮殿に幽閉されました。
ナポレオンはフェルナンド7世を幽閉すると同時に、スペイン王位を実の兄に与えました。ナポレオンの兄ジョゼフは、ホセ1世として即位し、実質的にスペインはフランスの支配下となりました。
それに反発して起こったのが「スペイン独立戦争」(1808年-1814年)です。7年にもわたるゲリラ戦になりました。ゴヤ作『1808年5月2日』という絵画で開戦日も知られています。
1812年に、南スペインのカディスに置かれていた国民議会で憲法が採択されました。これはアメリカ合衆国、イギリスに続く世界で3番目の成文憲法です。それまでは、すべての権力の行使権を王が持つ絶対君主制でした。その絶対君主制に代わり、この憲法では立憲君主制、国民主権、権力分立を定めました。
その後、1814年3月にナポレオンが敗北し、フェルナンドが再び王位に返り咲きました。復位した当初は憲法を尊重することを約束しましたが、それから間もない5月4日には王の不在中に同意なしに制定したとして憲法を無効としました。フェルナンド7世によって、その手続きが行われたのが、この「セルベヨン伯爵宮殿」です。
写真:小林 理沙
地図を見る中庭には、2つの展示室があります。
ひとつは宮殿の歴史を絵画付きで説明した部屋です。この宮殿が舞台となった「カディス憲法を廃止した経緯」などのナポレオン戦争当時のスペイン事情がスペイン語と英語で書かれています。
もうひとつの展示室は、「バレンシアの中世の商業」がテーマとなっています。中世の地図や手描きの美しい飾り文字の本を見ることができます。また、中世において、貿易が盛んだったバレンシアを象徴する両替箱(Taula de Canvis)も置かれています。
バレンシアの近代史において、これほど興味深いところはないと言える「セルベヨン伯爵宮殿」。
さらに、この宮殿の真向かいには、レコンキスタの英雄ハイメ1世により13世紀初頭に建てられたサント・ドミンゴ修道院(Convento Santo Domingo)があります。知名度はセルベヨン伯爵宮殿より、この修道院の方が勝るため、道に迷ったら修道院が目印にもなります。
ヨーロッパ史のコアな愛好家は絶対的に楽しめます。また、王室に興味のある方にも喜んでいただける「セルベヨン伯爵宮殿」は、オススメです!
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(2023/12/4更新)
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