静岡・薩埵峠は富士を望む東海道随一の絶景スポット

静岡・薩埵峠は富士を望む東海道随一の絶景スポット

更新日:2017/10/31 13:26

風祭 哲哉のプロフィール写真 風祭 哲哉 B級スポットライター、物語ツーリズムライター、青春18きっぷ伝道師
静岡県の薩埵峠(さったとうげ)は、旧東海道の由比宿と興津宿の間にある難所。山が海へと突き出た地形のため、昔は海沿いを通ることが難しく、急な峠道を登って人々が通り抜けていた場所ですが、ここから眺める駿河湾越しの富士山は絶景と言われ、安藤広重の東海道五十三次にも描かれています。
現在は旧東海道として道路も整備されていますので、ハイキング気分でこの絶景に接する峠越えを楽しむことができます。

旧東海道、絶景の薩埵峠は歩いて越えよう

旧東海道、絶景の薩埵峠は歩いて越えよう

写真:風祭 哲哉

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薩埵峠は、静岡市清水区のJR由比駅と興津駅の真ん中近くにあって、由比駅から3.5キロ、興津駅から5キロほどの場所にあり、ゆっくり歩いても両駅から1時間〜1時間半前後と、手軽なハイキング気分で歩けるコースです。

薩埵峠までは興津方面から乗用車で行ける道もあり(由比方面からの道は非常に狭く普通車でもすれ違いが困難)頂上近くには小さな駐車場もあるのですが、お薦めはやはり旧東海道をのんびり歩いて訪れること。
特に由比駅からスタートして古い町並みの街道を歩き、駿河湾を見下ろしながらだんだんと高度を上げ、時々振り返って富士山の雄姿を眺めつつ頂上を目指す道のりは、峠越えの苦しさを忘れてしまうほどです。

寺尾・倉沢地区の古い町並み眺めながら、ゆるやかに上る

寺尾・倉沢地区の古い町並み眺めながら、ゆるやかに上る

写真:風祭 哲哉

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桜えびで名高い由比の駅に降り立って西に向かうと、道はすぐに緩やかな上りとなります。やがてあらわれてくるのは寺尾地区の古い町並み。右手には東海道名主の館「小池邸」があります。
東海道名主の館「小池邸」は、長年由比地区の名主だった小池家の母屋。明治期に建てられたもので、建物正面のくぐり戸付きの大戸や格子、ナマコ壁など、風格ある建物です。

寺尾・倉沢地区の古い町並み眺めながら、ゆるやかに上る

写真:風祭 哲哉

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さらに進むと、今度は倉沢地区の古い町並みに入ります。倉沢地区は由比宿と興津宿の間にある休憩用の施設「間の宿」であったため、本陣の川島家や脇本陣であった柏屋、望嶽亭藤家などの建物が残っています。倉沢の一里塚を過ぎると、道はいよいよ峠に向けた急な勾配となります。

みかん畑の間を縫って、いよいよ薩埵峠の頂上展望台へ

みかん畑の間を縫って、いよいよ薩埵峠の頂上展望台へ

写真:風祭 哲哉

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クルマ1台が通れるほどの狭い道の両脇にみかん畑が続く中、急勾配の坂を登ると左手に海が見えてきます。いったん道がなだらかになって、駿河湾を眺めながら頂上に向けて徐々に高度をあげながら進みましょう。

みかん畑の間を縫って、いよいよ薩埵峠の頂上展望台へ

写真:風祭 哲哉

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やがてやや開けた場所に出ると駐車場が見え、峠の頂上に到着します。振り返ると手前の山肌の向こうに富士山、そして眼下に駿河湾と対岸の富士の街並みなどが現れます。ここにはトイレや休憩スペース、幸田文の文学碑などもありますが、薩埵峠の本当の展望台はここからもう少し奥、遊歩道を2,3分歩いた先になります。

海に突き出た山肌に沿って歩くと、さらに展望が開け、安藤広重が描いた「東海道五十三次・由井(由比)」の浮世絵そのままの富士山と駿河湾の絶景が目の前に広がります。

東海道線・国道1号・東名高速の共演も眼下に

東海道線・国道1号・東名高速の共演も眼下に

写真:風祭 哲哉

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江戸時代の「東海道五十三次」に描かれた東海道の情緒ある風景は、今では大きく姿を変え、そのほとんどが往時の面影を失ってしまった中で、広重が描いた構図に近い風景が残っている数少ない場所が、この薩埵峠の風景だ、と言われています。その時と違うのは眼下を走る東海道線、国道1号、東名高速という日本の交通・物流の大動脈の景観です。

ここは箱根越え、大井川越えなどと並び東海道の難所と言われたところで、海岸沿いの道を進もうとすると、波の間を縫いながら岩伝いに浅瀬や岩の合間を通らなければならない旅人泣かせの場所だったため、こうして薩埵峠を越える道が切り開かれたのです。しかし安政の大地震(1854)で地盤が隆起し、陸地が生じた結果、今のように海岸を通れるようになったと言われています。

雄大な富士と駿河湾をバックに、山側からJR東海道線、真ん中に国道1号、海に突き出た形で東名高速の上り線、下り線が並走して走るさまもまた、現代の絶景と言えるでしょう。

薩埵峠は富士の夕景のベストスポット

薩埵峠は富士の夕景のベストスポット

写真:風祭 哲哉

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南北朝時代の1351年には、薩埵峠の戦い(薩埵山の戦いとも)と言われる足利尊氏と足利直義の戦い、また1569年には武田信玄と北条氏政の間で起きた戦いなど、薩埵峠は古戦場としての歴史も多かったのです。それはこの峠が地形上、東西に遮断された東海道をつなぐ唯一の道であったことと無縁ではありません。そんな史実からも、古来より風光明媚な絶景の地であるとともに、難所であったことがうかがえます。

薩埵峠は富士の夕景のベストスポット

写真:風祭 哲哉

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また、この展望台は、西側から富士山を望む角度になるため、よく晴れて富士山が全貌をあらわしている日の夕方は、富士の夕景を撮影するベストスポットとしてカメラマンでにぎわう場所でもあります。機会があったらぜひそうした撮影にもチャレンジしてみてください。

旧東海道のハイライト、薩埵峠

今も昔も旧東海道を歩く旅人はたくさんいますが、薩埵峠はそのハイライトとも言うべき人気のコース。気負うことなく気軽にチャレンジできますので、良く晴れた週末に、ちょっと散歩のつもりで絶景を眺めに出かけてみるのもいいかもしれませんね。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/12/27 訪問

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