奇跡の大発見に静かな山里が沸いた!奈良市「太安万侶の墓」

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奇跡の大発見に静かな山里が沸いた!奈良市「太安万侶の墓」

奇跡の大発見に静かな山里が沸いた!奈良市「太安万侶の墓」

更新日:2015/04/25 19:10

奈良山 鹿子のプロフィール写真 奈良山 鹿子 元観光バスガイド

奈良県奈良市。世界遺産「古都奈良の文化財」になっている東大寺・春日大社・興福寺・平城宮跡・薬師寺などを有する日本屈指の観光地というイメージがありますが、そんな奈良市の山里に、日本最古の歴史書・古事記を編纂したという太安万侶(おおのやすまろ)の墓があるのをご存知でしょうか。しかもその場所は茶畑で見つかったのも偶然というんだから驚きです。今回は奈良市田原地区の太安万侶の墓と周辺の天皇陵をご紹介します。

奈良県奈良市田原地区

奈良県奈良市田原地区

写真:奈良山 鹿子

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奈良と言えば大仏!鹿!とよく言われますが、その奈良公園から、数時間に1本しかないバスに乗り30分ほど山を登ると、観光客で賑わう奈良市の中心地とは全くイメージの異なる静かな山里に到着します。ここが奈良県奈良市田原(たわら)地区です。同じ奈良市内ですが、標高400〜500mという場所柄もあり奈良盆地よりも気温が低く、多く目にする茶畑では「大和茶」が栽培されています。
また、第60回カンヌ映画祭で審査員特別大賞を受賞した『殯の森(もがりのもり)』の舞台にもなっています。

茶畑にひっそりと佇む墓

太安万侶の墓は、冒頭でも話したように茶畑の中にあります。とても急な坂を登らなければいけませんのでそのおつもりでお越しください。坂の登り口にはわずかな駐輪スペースとお手洗い、看板がありますのでそれを目印に探すと分かりやすいかと思います。

太安万侶と言えば古事記を作った人…というぼんやりした記憶の人も多いはず。ここではもう少しだけ詳しくご紹介しておきましょう。太安万侶は奈良時代の元明天皇の頃に活躍した、国家機関で働く文官(ぶんかん)。711年に元明天皇の命により稗田阿礼(ひえだのあれ)の読む今は無き歴史書「帝紀(ていき)」「旧辞(きゅうじ)」を太安万侶が編纂(へんさん)してつくったのが「古事記」で、日本最古の歴史書と言われています。

茶畑にひっそりと佇む墓

写真:奈良山 鹿子

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偶然発見された太安万侶の墓ストーリー

ただ、太安万侶は出生年代も不明で、実在の人物なのか?とその存在自体疑問視されてきました。
そんな中、1979(昭和54)年1月に田原地区に住む竹西さんという方が茶畑に新しい品種の茶を植えるための作業している最中、掘り起こした土の中に炭のようなものを見つけたことが太安万侶の墓発見の始まり。炭は家で使えると拾っていると、大きな穴が姿を現し、中には小さな骨が灰に混じって入っていたそう。灰の下には箱の板のようなものがあり、「太朝臣」という文字だけ読み取れたといいますが、当時は子供の墓だと思っていたために寺での供養を待つ間、お菓子の箱に入れて保管していたそうです。

しばらく経ってから奈良県文化財保存課にこの墓の事が伝えられることになり、担当者は「太朝臣」の板を見るなり「これはすごいことになる!」と興奮したそうです。ちなみにこの時担当した方は奈良県明日香村の高松塚古墳の発掘にも関わった人で、その人が「高松塚古墳よりもすごい」と言っていたことからも、ことの大きさがわかりますね。

すぐさま、県立橿原考古学研究所当時所長の指揮のもと発掘作業が行われ、その後この墓が太安万侶の墓と発表されました。静かな山里は一躍、考古学史上稀に見る大発見の場所となり大変な騒ぎだったそうです。

ちなみに「太朝臣」と書かれた板は、のちに国の重要文化財に指定される墓誌でした。
左亰四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳
と書かれており、太安万侶の住んでいた場所や位、亡くなった年月日が記されています。

発掘後墓は埋められ、翌年にその場所が「太安萬侶墓」として国の史跡に指定されました。今は大々的に観光名所になっているわけでもなく、静かな山里の風景が広がり、それを見下ろす場所になっています。椅子もあるので坂道を登った後休憩も出来ますよ。

偶然発見された太安万侶の墓ストーリー

写真:奈良山 鹿子

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光仁天皇陵と日笠フシンダ遺跡

太安万侶の墓の他にもこの田原地区には天皇陵などが点在しており、太安万侶の墓に来る際は是非一緒に見ておきたいところです。

まずひとつめは第49代天皇、光仁(こうにん)天皇の陵(みささぎ)です。光仁天皇は62歳の時に藤原氏の強い後押しで天皇に即位した少し珍しい経歴の天皇。息子には、平安京遷都を行った第50代天皇の桓武(かんむ)天皇がいます。
光仁天皇陵は田原東陵(たはらのひがしのみささぎ)とも言われており、太安万侶の墓とは違い山に囲まれた田園風景の中にぽつんと佇んでいます。

また、その近くには「日笠(ひがさ)フシンダ遺跡」があります。2006年に木管や絵馬が出土。光仁天皇陵や太安万侶の墓があることから天皇や貴族の埋葬地と考えられてきた田原地区ですが、平城京の祭事などに使用されたと思われる遺物が見つかったことで都と結びつきが強い土地なのではと考えられるようになりました。
しかしこの遺跡は埋め戻されているため、見に行っても「ここが遺跡か!」と思えるようなものは残っておらず、水田が広がるのみです。

光仁天皇陵と日笠フシンダ遺跡

写真:奈良山 鹿子

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春日宮天皇陵

先ほど紹介した光仁天皇の「田原東陵」に対して「田原西陵(たわらにしのみささぎ)」といわれているのが「志貴皇子(しきのみこ)」の陵。志貴皇子は第38代天智天皇の息子でありながら、皇位継承からはずれ天皇の位につくことはありませんでしたが「万葉集」に歌が6首収められるなど和歌の名手。
自身が亡くなった後に息子の光仁天皇が天皇に即位したため「春日宮天皇(かすがのみやてんのう)」の名が与えられました。なので歴代の天皇に春日宮天皇という人はいません。

入り口にあるバス停の名前は「田原御陵前」となっています。このバス停から古墳に続く道は両脇に低い石垣が配置され、和歌の名手と言われた志貴皇子を偲ぶような風情ある光景です。

春日宮天皇陵

写真:奈良山 鹿子

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奈良市の魅力再発見

田原地区は車以外で向かうとなるとバスになりますが、本数が少ないので注意が必要です。また、太安万侶の墓と光仁天皇陵は比較的近くですが、春日宮天皇陵は歩いて行くには距離があるのでしっかり計画を立てることをお勧めします。また、冬は奈良市の中心地が比較的暖かくても極寒の場合もありますので注意してください。

田原地区は地区全体を盛り上げようと特産を生かしたお店などをオープンしています。まだまだ大きな観光地にはなっていませんが、その素朴さがまた魅力。是非一度お越しになってみてください。
※各お店などは事前に営業情報を問い合わせてから行くことをお勧めします。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/04/21 訪問

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