松代大本営跡とは太平洋戦争の末期である1944年から約9ヶ月間の間に象山、舞鶴山、皆神山の3つの山中に掘られた巨大な地下壕の事です。本土への爆撃と本土決戦が現実的に差し迫った状況の中、日本の首都機能をこの地に移転することを目的に作られたものです。
工事は終戦の日まで続き、僅か9ヶ月間という工期にも関わらず全体の75%が完成しています。
移転する予定だったものは政府機関や日本放送協会、さらには皇居に至るまでの首都にある主要な機関は全て移転する予定で作られていました。
まず訪れたいのは松代象山地下壕です。ここは3カ所ある松代大本営跡のうち唯一公開されているところになります。
地下壕は天井が低い部分もあるのでヘルメットの着用が必須です。受付でヘルメットを借りて内部へ入る事になります。
松代象山地下壕では総延長約5900mのうち、約500mの区間を実際に歩く事ができるようになっています。500mの区間と言っても決して短くはなく、それだけでも随分と凄い規模と距離だと感じる作りになっています。
地下壕内にはトロッコの枕木跡や削岩用ロッドなどがそのまま残されていたりします。そういう部分にはライトアップがされていたり、解説が書いてあったりしますので見逃す事は無いかと思います。
仮に戦争が1945年8月15日以降も続いていたら、ここが首都機能を持った場所になっていた訳ですから急いで作る必要がありました。その為、ここを含む地下壕建設には非常に過酷な労働があったと考えられています。
そういう事を感じながら見学すると戦争のまた別の側面からの壮絶さを感じる事ができるでしょう。
【松代象山地下壕】
毎月第3火曜日及び年末年始が休業日。
それ以外の 9:00 〜 16:00 が見学日。入壕料は無料。
戦争遺跡を巡る旅で地震観測所とはこれ如何に?と思う方もいらっしゃると思うのですが、ここも立派な戦争遺跡の1つ。この建物自体が松代大本営跡の1つなのです。
ここは舞鶴山に作られた地下壕とそれに付随する御座所、参謀本部、学習院として使われる為に建設された建物たちなのです。
建物は1〜3号庁舎とあり、第1号庁舎は天皇陛下の御座所。第2号庁舎は皇后陛下の御座所。第3号庁舎は宮内庁の施設として利用される予定でした。
コンクリートの壁や天井が厚い部分で80cm〜90cmもあるかなり頑丈な構造になっています。さらに当時はこの建物の上に土が盛られ半地下壕建築となっていて、上空からだと山と連なって見えるようになっていた訳です。
写真の建物は天皇陛下の御座所として作られた第1号庁舎です。内部へ立ち入る事は出来ませんが、外側より内部を見る事はできるようになっています。
急遽作った建築物ですが、陛下の御座所だけあって建物内部は良い素材や作りになっている事は伺えます。
天皇陛下の御座所近くにある庁舎内入り口からは地震観測所庁舎内を見学するルートが設定されています。
ここには地震観測所の設立経緯や松代群発地震に関する資料が掲示してあるのですが、そこを奥へと進むと地下壕に行く事ができます。
残念ながら地震観測の機器が設置されているので、ある程度の場所までしか進む事は出来ませんが地下壕の一部を進む体験も可能です。
そしてこの地下壕への道のりは陛下の御座所と繋がっている為に、有事の際には陛下が通る事になったであろう道のりと言えるのです。
その為か松代象山地下壕のようにゴツゴツとした岩がむき出しではなくて、非常に綺麗に整えられた地下壕であると感じる事ができるはずです。
【松代地震観測所】
平日のみ。9:30 〜 16:30 まで。
土日祝日と年末年始は見学不可。料金は無料。
今回は戦争遺跡というテーマで松代に残る見学できる2カ所の戦争遺跡をたどる旅をご紹介しました。
松代象山地下壕公開は1989年からです。2015年で戦後70年ですが、戦後のかなりの期間は非公開だった事になります。「平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡」として公開される事になりました。
私を含む多くの世代が戦後生まれになる中で、世界の平和を考えるうえで戦争を知る事はとても意義深いものがあります。
書物などで細かい歴史的な事象を知る事も大切ですが、こうした遺跡へ入り、体で何かを感じる事も非常に大きな経験になるのではないかと思います。
松代の戦争遺跡、是非訪ねてみてくださいね!
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(2024/9/17更新)
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