写真:井伊 たびを
地図を見る「木下(きおろし)貝層」は、千葉県北部から茨城県南部に広く分布しており、印西市木下(きおろし)で最初に調べられたので、この名前がつけられた。この貝層は、約12万〜13万年前の地層。その頃の関東平野には「古東京湾(ことうきょうわん)」と呼ばれる大きな内湾が広がっており、その内湾の波浪や潮流によって貝殻が集められ堆積したものが「木下貝層」だ。
写真:井伊 たびを
地図を見るここに見られる貝化石は、タマキガイ、バカガイ、キオロシアサリ、サラガイ、マメウラシマガイなどだ。また、このほかにカシパンウニもよくでているとか。これら貝類と同一の種類は、現在でも海岸や海岸より少し沖合に生息している。
この「木下貝層」は、当時の浅海に堆積した化石や様々な堆積構造を含むだけでなく、関東平野の地層研究の端緒となった。
写真:井伊 たびを
地図を見る「木下(きおろし)万葉公園」は、国指定天然記念物である「木下貝層」を中心に、万葉の緑に囲まれ、高低差約20mの丘陵を利用した約2.6haの公園である。高台へは直線の階段の他、歩行に自信のない方に優しい緩やかなスロープもある。丘の上から木下の町並みや、利根川、我孫子市、さらに天気のいい日には筑波山はもちろんのこと、遠くに富士山も望める。
丘の上には、サトウハチロウ作詞の「木下音頭」の詩碑がある。
その四番に、次のように刻まれている。
朝のひかりに 筑波をおがむ
つくば晴れたで 心もはれた
入陽こいしや 富士さえ映える
今宵あの娘と またまた踊ろ
明らかにこの丘で詠んだ詩だということが分かる。
写真:井伊 たびを
地図を見る丘の上の万葉の緑に囲まれた、心地よい風の吹き渡る公園のイメージに加え、「日本古来の木々が自然に植えられていて、のんびりと散策していると、ふと万葉人の一句がよみがえるような、そんな公園になったら」という意味が込められ「木下万葉公園」と名付けられた。
写真:井伊 たびを
地図を見る万葉集には四季折々の花木が詠み込まれている句が多い。ここ「木下万葉公園」では、そんな中から選りすぐりの数句がかかげられ、その句に詠み込まれた花木が地植されている。その花木を愛でながら、一句を味わえば遠き万葉人の心を偲ぶことができる。
ちなみに、こちらの一句は万葉集・巻10ー1895にある(作者不詳「柿本人麻呂歌集」)の一句である。風にゆれる「さきくさ」(現代名:イカリソウ)を愛でながら、読み進めば句にふれる趣もひと味ちがうことだろう。
春されば まづ三枝(さきくさ)の 幸(さき)くありて 後にも逢はむ な恋ひそ吾妹(わぎも)
春が来ればまず咲き始める、このさきくさのように、無事でいたならまた巡り逢えるのだから、そんなに恋しがらなくてもいいんだよ
と恋しがる妻を思って詠んだ一句だ。
こちらは、JR成田線・木下駅から徒歩10分足らずで訪れることができる。とてもアクセスのいい公園だ。
さて、日本列島に人類が住みついたのが数万年前、万葉人が生活を営んでいた頃は、せいぜい千数百年前。ところが、古東京湾の海鳴りが海面を駆けめぐっていた頃は、実に十数万年前のことだ。大自然の時間の軸からみれば、われわれの人生なんてほんの一瞬のできごとでしかない。
木下貝層により「地理学」や「地層学」、四季折々に愛でる花木により「生物学」、万葉の歌にふれることで「古文学」などが、あらためて同時に学べるスポットである。一箇所で、一石何鳥をも手にする一日をあなたにプレゼントしよう。
こちらは、特にお子さま連れのご家族にオススメのスポットだ。
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(2024/10/15更新)
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