写真:乾口 達司
地図を見る奈良時代に創建された東大寺。その創建を強く後押しした人物に聖武天皇がいることをご存知の方も多いでしょう。仏教に深く帰依していた聖武天皇は、741年(天平13)に国分寺建立の詔を出し、743年(天平15)には大仏造立の詔を出しました。それは仏教によって国家の安寧をはかるという「鎮護国家」の理念を具体化した施策でした。
東大寺では聖武天皇を「四聖(ししょう)」と呼び、いまでも篤く敬っています。聖武天皇が東大寺とは切っても切れない縁で結ばれた天皇であったことが、ここからもうかがえるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る聖武天皇祭がとりおこなわれる5月2日は、756年(天平勝宝8)に崩御した聖武天皇の旧暦の御命日にあたります。
東大寺にとっては、みずからの創建にかかわる大切な方の法要であるため、東大寺でとりおこなわれる数多くの法要のなかでももっとも重要なものの一つとされています。
当日は、仏教の法要の際にもちいられる「幡(ばん)」が数多く立てられ、聖武天皇祭の重要性が伝わってきます。
写真:乾口 達司
地図を見るこの日は午前8時から聖武天皇をまつる天皇殿で法要がとりおこなわれますが、聖武天皇祭の見どころは、午後1時からおこなわれる練り行列!
写真は境内を練り歩いた行列が大仏殿に入る様子を撮影したものですが、行列のなかには雅楽を演奏する人たちも加わっており、雅楽の音色が雰囲気を盛り上げてくれます。
写真:乾口 達司
地図を見る行列のなかには、「市女笠(いちめがさ)」をかぶり、「虫の垂れ衣(むしのたれぎぬ)」を垂らした「壺装束(つぼしょうぞく)」の女性陣やミス奈良、稚児とその父兄の姿も見られます。
写真:乾口 達司
地図を見るもちろん、大勢の僧侶も行列に加わり、大仏殿へと入堂します。
写真:乾口 達司
地図を見る入堂した僧侶は大仏を前にお経を読みますが、注目したいのは、その手前に居並ぶ人々。この姿、どこかで見たことありませんか?そうです、僧兵です!
写真:乾口 達司
地図を見るえ?東大寺にも僧兵がいたの!?と驚かれる方も多いでしょうが、都が平安京に移り、鎮護国家のお寺としての役割が薄れていった平安時代以降の東大寺では、ほかの有力社寺と同様、広大な寺領を外部の諸勢力から守るため、僧侶のなかから武装化するもの(僧兵)が現われました。
奈良では、興福寺や多武峰・妙楽寺(現在の談山神社)、吉野・金峯山寺の僧兵が知られていますが、東大寺にもたくさんの僧兵がいたことが、ここからはうかがえますね。
写真:乾口 達司
地図を見る大仏殿で法要がいとなまれている頃、大仏殿前の鏡池の上に設けられた舞台では、舞楽や能楽といった古典芸能が演じられます。
観覧は無料。あわせて鑑賞しましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は舞楽の演目の一つである「蘭陵王(らんりょうおう)」。北斉の王族で絶世の美男子といわれた高長恭を主人公にした演目で、士気を鼓舞するため、高長恭があえて龍の面をつけて全軍を指揮し、勝利をおさめたエピソードにちなんでいます。
写真:乾口 達司
地図を見るほかにも、子どもたちによる舞いもあります。
※上演される演目は年によって異なります
写真:乾口 達司
地図を見るこの日は聖武天皇の遺徳をしのぶ日であるため、聖武天皇をまつる境内の天皇殿も一般に特別公開されます。
写真:乾口 達司
地図を見る天皇殿の堂内には、聖武天皇の坐像も安置されています。ただし、堂内に立ち入ることは許されていないため、外側から拝みましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る天皇殿に参拝したら、参道脇に立つ本坊経庫もあわせてご覧ください。
本坊経庫は奈良時代に建造された校倉造の古建築。現在、国宝に指定されていますが、特別な行事のとき以外、一般には開放されていない本坊の敷地内にあるため、普段、その姿を外部から見学することはできません。
古建築好きの方はこの日を狙って見学しましょう。
聖武天皇祭がどのような法要なのか、おわかりになったでしょうか。翌3日は、東大寺の僧侶が聖武天皇の陵墓がある佐保山御陵へ参拝する山陵祭もいとなまれます。ゴールデンウィークに東大寺を訪れたら、ぜひ聖武天皇祭を拝観してください。
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