写真:Ise Shinkurou
地図を見る臼杵城の城主・大友義鎮(よししげ)は法名・大友宗麟(そうりん)として知られる戦国武将。大友氏代々の本拠地・府内(大分市)から臼杵へ本拠地を移したのは1556年、まさに戦国時代の後半。
この丹生島と呼ばれる島は、海に囲まれ、西側の一部のみ干潮時に陸と繋がる、まさに陸の孤島!この島全体を城にしたのですから、これは難攻不落の天然の要塞ですよね。
島津氏(薩摩の国の領主)の侵攻の際には、周辺の領民を全て避難させたと伝わりますから、その規模は想像を絶するほど。
現在、埋め立てにより海の孤島の雰囲気は失われつつありますが、黒い岩肌と石垣から天然の要塞としての往時の様子を垣間見る事が出来ます。
特に島の雰囲気がよく表れているのが城壁の緩やかなカーブ!残念ながら天守閣は残っていませんが、この真ん中に重層の天守が青空高く聳えていたと思うと何だかワクワクしませんか?
写真:Ise Shinkurou
地図を見る外敵を防ぐために岩を掘り切って造った狭い道は、馬の鐙(あぶみ)に似ていることから「鐙坂」と呼ばれています。この坂は周囲を取り巻く白壁と高く積まれた石垣のコントラストがとても美しく、これほど綺麗なカーブを描いた坂は全国的にも珍しいと言えます。やはり島が城なのですね。
これではヨーロッパから布教に訪れた宣教師たちが驚くのも納得。天保年間に建てられた「畳櫓」までこの坂が続きます。戦国時代の武士に思いを馳せながら、素敵な歴史散歩を楽しんで頂ける筆者お勧めの道です。
また写真の「時鐘櫓跡」まで登られると「城下町臼杵」の全景が目の前に広がり、「稲葉家下屋敷」「旧真光寺」「三重塔」など、城から見下ろす城下町を楽しんで頂けますよ。
写真:Ise Shinkurou
地図を見る臼杵城址に現存する主要な石垣は8カ所あり、主に17世紀前半〜19世紀前半に築かれたもの。城郭めぐりは、石垣が積まれた時代の移り変わりを愉しめるのが魅力の一つですよね。ですが、ここは島全体が城ですので、普通の城郭とは趣が異なり、自然が形成した岩肌と人が積み上げた石垣とが創り出す面白い景観を見せてくれます。特に天守台石垣は表面調節を行わない16世紀・豊臣時代のものです。
写真は本丸跡手前にある「武具櫓跡地」に残る空堀の石垣で、海に囲まれた要塞ならではの景観を愉しめるスポットの一つ。
下半分は17世紀前半の算木積み(石垣角の部分に用いられた強度を持たす積み方)の特徴を見せ、一方では岩肌を利用すると言う、臼杵城ならではの面白い石垣です。
現在は埋め立てが進み海に面してはいませんが、こちらの散策道からも臼杵市内を一望して頂けます。
写真:Ise Shinkurou
地図を見る臼杵城主は、「大友氏」から「福原氏・太田氏」と移り変わり、慶長5年(1600年)徳川幕府によりこの地に入封したのは稲葉氏。この一族が明治の廃藩置県まで臼杵を治め続けます。(余談ではありますが、大奥で有名な春日局の血縁者です)
稲葉氏は様々な城内改修を行いましたが、城主居館の庭園の一部「西の丸居館庭園跡」が「臼杵護国神社(城址内)」に残っています。戦国時代の名残りを残す江戸初期の庭園は、是非皆様に見て頂きたい一見の価値のあるもの。戦国武将の猛々しさを見せつける素敵な遺構です。
島全体を散策しながら城址全体を愉しむには、約1時間から1時間半ほどかかります。鐙坂を登られてから天守台を目指され、最後に護国神社の庭園跡へと歩かれると良いかと思います。
戦国の北九州の覇者の思いと、九州平定後の武士の思いを感じながらの散策は、きっと時代の変革を感じる素敵な散策になる事でしょう。
日本三大水城と言えば、高松城(香川)・今治城(愛媛)・中津城(大分)を指しますが、臼杵城のように島全体を城に仕上げた天然の要塞は全国的にも珍しいと言われています。お城ファン・戦国ファンの方には特にお勧めですよ。
また城下町には岩を切り取って道を通した「切通し」と呼ばれる場所が点在しています。こちらも臼杵ならではの歴史的景観を愉しんで頂けるお勧めのスポットですので、下記MEMO欄から当LINEトラベルjp 旅行ガイドの記事をどうぞ!
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(2024/12/5更新)
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