クロアチア紺碧の海岸の街スプリット。旧市街は、古代ローマ時代の宮殿に築かれた迷宮の世界!

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クロアチア紺碧の海岸の街スプリット。旧市街は、古代ローマ時代の宮殿に築かれた迷宮の世界!

クロアチア紺碧の海岸の街スプリット。旧市街は、古代ローマ時代の宮殿に築かれた迷宮の世界!

更新日:2015/10/15 16:42

かわい ゆうこのプロフィール写真 かわい ゆうこ トラベルライター、エッセイスト

アドリア海沿岸で最大の港町スプリット(Split)。一年中温暖な気候で、美しい紺碧の海を見渡せるこの街は、ヨーロッパで人気の高いリゾート地です。しかし、その起源は古代ローマ時代に遡り、港に面した旧市街は古代の遺跡と中世の様式が入り組んだ迷宮の世界。一旦、足を踏み入れれば、まるで遠い時代にタイムスリップしたかような錯覚に陥るでしょう。

古代ローマと中世の面影が色濃く残る世界遺産スプリットの旧市街

古代ローマと中世の面影が色濃く残る世界遺産スプリットの旧市街

写真:かわい ゆうこ

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レストランやカフェ、南国風のヤシの木が連なる美しい海岸のプロムナード。その向こうに見えるのがスプリットの旧市街です。美しいロマネスク様式の鐘楼に象徴される旧市街は、古代ローマ時代の宮殿の上に築かれ、その独特な成り立ちから世界遺産にも登録されています。港には多くの大型クルーズ船が停泊し、連日、世界中からの観光客で賑わっています。

古代ローマ戦士に出会えるディオクレティアヌス宮殿

古代ローマ戦士に出会えるディオクレティアヌス宮殿

写真:かわい ゆうこ

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スプリットの旧市街は、295年-305年に古代ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスが宮殿を建造したことに始まります。宮殿の広さは南北215m、東西180mあり、ペリスティルという広場を中心に北は兵舎、南はディオクレティアヌス帝の私邸として使われていました。

古代ローマ時代の名残りは、その昔ディオクレティアヌスの霊廟だった大聖堂、現在は洗礼室になっているジュピター神殿、宮殿を囲む城壁などに見ることができます。中でも、中世の時代に食料庫として利用されていた宮殿地下は、現在一部がショップになっているほか、当時のままの広い空間が残っており、地上階を支えるための貴重な構造を知ることができます。

ペリスティルでは、コスプレした古代ローマ兵士がいるので、一緒に記念撮影すれば旅の楽しい思い出になるでしょう。

古代ローマ建築と中世ロマネスク様式の美しいハーモニー

古代ローマ建築と中世ロマネスク様式の美しいハーモニー

写真:かわい ゆうこ

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古代ローマ帝国の滅亡後、7世紀になると南スラブ人などの異民族の侵入から逃れようとした人々が、高さ20m、厚さ2mにも及ぶ要塞のように堅固な城壁で囲まれたディオクレティアヌス宮殿に移り住むようになりました。そのため、宮殿の基礎を残したまま建物が増築され、古代と中世の様式が複雑に混在する不思議な街へと発展しました。

旧市街の象徴である鐘楼は、中世の時代に大聖堂の横に隣接して建て加えられ、古代ローマとロマネスクの様式が見事に調和して作られています。昼間、鐘楼から眺めるアドリア海の美しい海とスプリットの街並みはとても素敵です。

この周辺にはレストランも多く、夜は美しくライトアップされた神秘的な宮殿を見ながらロマンティックなナイトライフを過ごせます。

宮殿の外も見どころの多いスプリットの中心部

宮殿の外も見どころの多いスプリットの中心部

写真:かわい ゆうこ

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スプリットは、旧市街となっている宮殿の城壁の外側にも数多くの見どころがあり、観光客が飽きることがありません。

宮殿の西側、ナロドニィ広場はゴシック様式の市庁舎やルネッサンス様式の邸宅が建ち並び、時代錯誤しそうな中世の街並みを体感できます。

さらに、西に行き迷路のような路地を抜けると、南北に延びるマルモントヴァ通りがあり、ブランド・ショッピングを楽しめるファッショナブルなショップが軒を連ねています。

宮殿の東側には大きな青空市場があり、スプリットの人々の庶民的な一面が垣間見られます。クロアチア特産のラベンダーで作られたオイルや香料なども安く売られているので、お土産探しにもピッタリです。

歴史とが刻み込まれたスプリット中心部の街並み

歴史とが刻み込まれたスプリット中心部の街並み

写真:かわい ゆうこ

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スプリットの港湾に面した場所には大きなカラフルな建物が多く、地中海の明るい雰囲気が漂っています。特に、レプブリカ広場の赤で塗られたルネサンス風の回廊は大変美しく、一見の価値があります。それよりもっと西北には、迷路のような細い路地が入り組み、可愛らしい住居が建ち並んでいます。

スプリットの中世以降の歴史は、多民族同士の戦いと近隣諸国による支配でした。中でも、ヴェネチア共和国による支配は1420年から1797年まで377年間にも及び、そのため街中にイタリア的な景観が色濃く残っています。その後、ウィーン会議によりスプリットはオーストリア帝国に割譲され、第二次世界大戦ではイタリアに占領。イタリアが降伏した後も、ドイツと連合国双方から爆撃を受けるという悲劇の歴史が続きました。

第二次世界大戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国に編入されましたが、クロアチア独立戦争の際には1991年11月にユーゴ人民軍によるフリゲート艦の砲撃があっただけで、幸いドブロブニクのように甚大な被害を受けずに済みました。それ故、クロアチアの他の都市に比べて独立戦争の爪痕が少なく、街全体が明るく開放的な雰囲気に包まれています。

長い時代、他国に支配されながらも、スプリットが様々な文化を吸収し、今日のような独自の街並みを作り上げてきた背景には、この街がアドリア海で重要な港湾都市として発展を遂げてきたことが大きな要因でしょう。

歴史探訪とリゾート気分を両方味わえるスプリット

スプリットは旧市街周辺と、少し離れた海水浴場に隣接する郊外では街の印象が違います。そのため、海水浴を目的としたリゾート気分を味わいたい方には郊外、歴史探訪を目的とした方には旧市街周辺に滞在されることをお勧めします。

とても美しい海岸もあるので、街の中心部ばかりでなく、少し郊外に足をのばして散歩や海水浴を楽しむこともできます。

また、スプリット周辺にはトロギールやフヴァル島など日帰りで行ける観光地も多く、数日滞在されて旅の拠点にされるのも良いでしょう。

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/08/01−2013/08/07 訪問

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