写真:渡部 洋一
地図を見るマレー半島西海岸に位置する港湾都市、マラッカ。14世紀末、マレーシア初の王朝マラッカ王国が誕生したこの地は、東西貿易の中継地として500年以上に渡り繁栄を極めました。大航海時代におけるアジアの主役の一つであり、シルクロードに匹敵する海上の道として発展したこの街には、アジアやヨーロッパの影響を受けた名残の歴史スポットが今も数多く点在しています。
2008年、ペナン島のジョージタウンとともにマラッカの街はマレーシアで最初の世界文化遺産に登録されました。
街中のそこかしこで目にする歴史遺産の中から今回ご紹介するのは、ポルトガル植民地時代の歴史が香る「サンチャゴ砦」。マラッカ市街地の中心部に位置するセントポールの丘の麓に、それは建っています。
ちなみに、この丘の頂上に建つセントポール教会から見る夕陽は「世界三大夕日の名所」の一つに数えられることもあるほどの美しさで、そちらも必見です。
写真:渡部 洋一
地図を見る大航海時代、東西貿易の要衝であったマラッカの歴史は、支配の歴史でもあります。
マラッカは、1511年からポルトガル、1641年からはオランダ、そして1795年からはイギリスの占領下に置かれました。
1511年、ポルトガルの統治が始まると同時に建設されたのが、このサンチャゴ砦。正式名をファモサ要塞というこの砦は、マラッカ有数の観光名所であり人気の撮影スポットともなっています。
ポルトガル軍によってこの砦が築かれた当時、このすぐ側までマラッカ海峡の海が広がっており、敵からの攻撃を防ぐ最前線としての機能を持っていました。「敵」とは、主にオランダ。海上交易の要衝として、マラッカの地は列強にとって垂涎の的だったのです。
ポルトガル植民地時代、マラッカ海峡から攻めて来る敵の侵攻に備えた砦が4カ所に設置されていましたが、現存するのはサンチャゴ砦のみ。今も残される堅牢な要塞は、朽ちて尚往時の威光がうかがえる貴重な歴史遺産です。
写真:渡部 洋一
地図を見るオランダとの戦いに備えて建造された石造りのサンチャゴ砦。堅牢でいかつい要塞の前には、ポルトガル軍によって造られた大砲が備えられています。
東西貿易の主役であったと同時に、幾多の戦いの舞台ともなったマラッカ海峡。世界史が大きく動き始めた時代、常に歴史の表舞台であり続けたこの場所には、大航海時代の香りが色濃く残されています。
旅人の頭の中で砲煙が吹き轟音が鳴り響くような風格を、威風堂々としたサンチャゴ砦とその大砲は漂わせているのです。
写真:渡部 洋一
地図を見るサンチャゴ砦正面に刻まれた、歴史を感じさせる彫刻。宣教師と兵士、船が描かれています。実はこの装飾、ポルトガルによって描かれたものではなく、後にオランダによって彫られたものと言われています。
時代の移り変わりとともに様々な国の支配を受けた、マラッカならではの歴史の跡です。
写真:渡部 洋一
地図を見るサンチャゴ砦内部は、通り抜けることができます。
そこは、市民の憩いの場。時には、歴史遺産の中で美しいギターの音色を奏でるパフォーマンスにも出会うこともあります。
大航海時代、戦いのために築かれた砦の中で、現在は人々が思い思いの時を過ごしているのです。
ちなみに、砦を通り抜けた先に始まる階段は、セントポールの丘の頂上へと繋がっています。頂上からはマラッカ海峡を一望にでき、そこから見る夕陽は「世界三大夕日」の一つに数えられるほどの美しさなので、サンチャゴ砦と併せて訪れるのもおすすめです。
いかがでしたか?
大航海時代、東西貿易の要衝として繁栄を極めたマラッカ。街のそこかしこに点在する歴史遺産の中で、戦いの跡として風格漂うサンチャゴ砦をご紹介しました。威厳のあるたたずまいにマラッカという街が歩んできた歴史の重みを感じられる、オススメのスポットです。
なお、サンチャゴ砦の背後に聳えるセントポールの丘の頂上に建つセントポール教会と、そこから眺める夕陽については、記事下部にある「MEMO」の「ザビエルは禿げていなかった!世界遺産マラッカ・セントポール教会で歴史の真実と出会う旅!」と「世界三大夕陽の名所!マレーシア・マラッカで大航海時代を体感!」で詳しくご紹介しています。また、マラッカへのアクセス等の情報も、同じく「MEMO」よりご覧いただけます。
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(2024/10/15更新)
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