岩手県花巻市東和町。緑豊かな自然が広がるとても長閑な町に丹内山神社はあります。
丹内山神社の草創は今から1300年より昔。この地を開拓した神である多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祀ったと伝えられています。
が、境内にはアラハバキ神の巨岩が鎮座。アラハバキ神は古事記や日本書紀に登場することのない、謎の神です。かつてはこの神を祀っていた神社のほとんどが、ご祭神を変えてしまいました。蝦夷の神、物部の神、製鉄の神、賽の神などとする説がありますが、本当のところはわかっていません。ただ、アラハバキ神が祀られているところには必ず磐座があると言われています。この丹内山神社も恐らくはアラハバキ神を祀るために草創されたのではないでしょうか。
創建は承和年間(834〜847年、平安時代)。弘法大師の弟子である日弘が不動明王を安置したことによります。当時は「大聖寺不動丹内大権現」と称しました。藤原清衡の篤い信仰を受け、また江戸時代には南部藩主の祈願所として繁栄します。
その後明治の神仏分離により丹内山神社となりました。境内はとても広く、かつての信仰の篤さを偲ぶことができます。
この丹内山神社には七不思議が伝えられています。
その一、唐獅子〜本殿脇障子の唐獅子を舐めると居眠りしない。(4枚目の写真)
その二、つらら〜神社境内の建物にはつららが下がらない。
その三、肌石〜この石には雪が積もらない。(上の写真)
その四、手水鉢〜どんな干天でも水が乾くことがない。(1枚目の写真の鳥居の足元にこの手水鉢があります。)
その五、竹〜境内には竹が生えない。
その六、銀杏〜どんな強風でも境内の外に葉が飛び散らない。
その七、桐の木〜杉の木の幹に桐が生えていた。
「その二」「その三」はここが東北の山の中であり、さらにここだけ、というのは通常ではあり得ないことでしょう。
「その四」の手水鉢は石でできています。実はこの手水鉢には水の注ぎ口がありません。石の底から水が湧き出ているのでしょうか。
「その七」の杉は樹齢2000年を超える古木。残念ながら大正時代の火事の飛び火で焼けてしまい、現在は根の部分しか残されていません。
現在の本殿は文化7年(1810年、江戸時代)に再建されたもの。
小さいお堂ではありますが、特筆すべきは彫刻。腰欄間や外壁には中国の古事や、古事記、万葉集に因んだ素晴らしい彫刻が施されているのです。
この長閑で少し寂れた神社に、こんな見事な彫刻のお堂があるとは…。かつての信仰の篤さを垣間見ることができます。
本殿向かって右側の外に付けられた障子。
この障子の彫刻の唐獅子が七不思議の一つ「舐めると居眠りしない唐獅子」です。かつてこの地で修行した僧が居眠りでもしたのでしょうか?
変わった七不思議のひとつではありますが、この障子の唐獅子と牡丹の彫刻も、舐めるなんてとんでもない!大変見事なものです。
本殿の奥にある巨岩。高さ3m以上もあるこの胎内石がアラハバキの磐座です。丹内山神社のご神体として1300年以上も前から祀られていました。
坂上田村麻呂が延暦年間(782〜805年)の東夷征伐の際に参籠した、との言い伝えもある丹内山神社。その頃はまだ日弘による創建前。敵の神に祈願したことになります。
よほどの霊験があったのでしょうか。東夷征伐の後、田村麻呂はこの神を恐れ、同じ東和にこの神社を睨むように毘沙門天を祀りました。(成島毘沙門堂)
この磐座は、巨岩に小さめの岩が倒れ掛かるようになっていて、その隙間をくぐり抜けることができます。
そのご利益は安産、交通安全、商売繁盛、受験、就職など。特に壁面に触れずにくぐり抜けることができれば大願が成就すると言われています。しかし、中には別の石が地面より出ていてかなりの段差があるため、壁面に触れずにくぐり抜けるのは至難の業。
かつては信仰を集めた丹内山神社。
観光地と化した神社では感じられない、強いエネルギーが秘められています。
しかし規模も大きく見るべきものもあるのに、廃れていってしまうのは残念で仕方がありません。
ぜひこの丹内山神社を訪れて、かつての栄華に思いを寄せ、静かなパワーを感じとってください。
丹内山神社
アクセス
電車:JR釜石線 土沢駅〜東和交通観光バス(山の神線)、バス停「谷内」下車〜徒歩
車:釜石自動車道 東和IC〜県道39号〜県道284号経由、約10km
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(2024/10/15更新)
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