写真:吉川 なお
地図を見る『瀧乃湯』の開業年は定かではなく、日本統治時代の1907年(明治40年)前後に建てられたのではないかと言われています。であればもうすぐ110年。当時の面影がそのまま残る北投温泉で最も古い浴場です。
木造平屋建ての瓦葺きの純日本風建築の建物には趣きが感じられ、入口に掲げられた「瀧乃湯浴室」の看板にも時代を感じます。このような日本情緒が残る古い遺構が、今も外国に存在している事実に驚いてしまいます。
その昔、この辺りに住んでいた人たちは『瀧乃湯』前を流れる北投渓に入って湯を楽しんでいました。日本が台湾を統治するようになると、政府は軍人の療養のため、この地に大衆露天風呂を設置。こうして『瀧乃湯』が誕生しました。当初は男性ばかりだったため、男湯しかありませんでした。
1945年に日本の統治が終わると、『瀧乃湯』は中華民国政府に接収され、競売にかけられました。落札したのは台湾人の林添漢氏。『瀧乃湯』は彼によって存続されることになりました。
再オープンの際、露天だった男湯に建屋がつけられ、新たに女湯と個人風呂が増築されました。現在は林添漢氏から数えて3代目の子孫によって運営されています。
写真:吉川 なお
地図を見る写真:吉川 なお
地図を見る1923年(大正12年)、当時皇太子だった昭和天皇が北投に行幸された際、北投公共浴場(現在の北投温泉博物館)を訪れ、北投渓沿いを散策されました。その時に、快適に歩けるよう渓流内に飛び石が新たに敷設されました。
それを記念して建てられた「皇太子殿下御渡涉記念」という石碑は、今も『瀧乃湯』の敷地内にひっそり建っています。
写真:吉川 なお
地図を見る入湯料はひとり100元(約380円)。北投に林立する温泉ホテルの入浴料金と比べると破格の安さです。同じく北投にある公衆浴場「親水露天温泉浴池」は40元ですが『瀧乃湯』は個人経営。妥当な金額と言えるでしょう。
泉質は世界でも珍しいラジウムを含んだ青硫黄泉(酸性硫酸塩泉)で、ここから30分ほどの場所にある源泉の地熱谷から湯を引いています。
北投は医学療養にも使用されている北投石の産地で、1905年(明治38年)に地質学者岡本要八郎氏が、ここ瀧乃湯で入浴した帰りに目の前の北投渓で発見しました。世界でも北投と秋田県の玉川温泉でしか産出されない貴重なもので、この2つの湯は質のいい青硫黄泉温泉として知られています。細胞の活性化や免疫力の増強に効果があり、慢性皮膚病、痛風、筋肉痛に効能があると言われています。
写真:吉川 なお
地図を見る入口を入るとすぐ、趣きある番台が目に飛び込んできます。男湯は左、女湯は右と書かれてあり、日本の銭湯の番台を思い出します。
台湾は水着着用で入るプールのような公衆浴場が多いのですが、ここはもちろん日本式。素っ裸で入ります。
番台を通り、靴を脱ぐと奥に浴室があり、女湯は入ってすぐ右に石造りの湯船が1つあります。男湯には湯船が2つあります。
でもあれ?服を脱ぐ脱衣場がない!一体どこで脱ぐの?と一瞬あわててしまいますが、よく見ると奥の洗い場の横に棚が設置されています。扉などの仕切りはなく、湯船の横の50cmほどの縁を歩いて向います。入浴している人のすぐ横で服を脱ぐという驚きの脱衣所、風呂、洗い場一体型です。
湯の色は青硫黄泉なので少し青く見えます。温度はかなり熱めの44度で、強酸性湯なので洗顔は禁物です。1回の入浴時間は3〜5分、同時間程度の休憩をはさんで2〜3回というのがベストの入浴法です。洗い場には水道水の出るシャワーは設置されていますが、温水は出ないのでご注意を。石けんやシャンプーなども置かれていません。タオルの貸出もないので、持っていない場合は番台で購入してから入りましょう。入浴後はかけ湯をして温泉を洗い流すのもお忘れなく。
酸性度が高いので、貴金属類は反応を起こして変色してしまいます。ネックレス、ピアス、指輪などは必ず外して入浴しましょう。
湯に浸かる時間が短いため、ほとんどの方が洗い場で思い思いに休憩されています。年配の地元の方が多いようで、ちょっとした人間ウォッチも楽しめます。
長い時を経ているので『瀧乃湯』はかなり老朽化しています。永続的に継続させるには大幅な改築が必要とのことで、近い将来に今の姿は見られなくなってしまうでしょう。
きれいではないけれど、決して快適とは言えないけれど、これほどレトロな風情を醸し出している浴場は、日本にももうないのではないでしょうか。
リフォームされる前に、是非とも台湾で昔の温泉ムードを感じてみてはいかがでしょうか。
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(2023/12/4更新)
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