黄金の国ジパング。かつて日本はそう呼ばれていました。今の私たちには「何故?」って思う話かもしれません。でも実は多くの鉱山を持つ国なんです。島根県にある世界遺産「石見銀山」は最盛期には実に世界の3分の1の銀を産出していたと言われています。金山に限定すると今でも年間7トンもの金を産出している場所もあります。
今回ご紹介するのは日本の世界遺産暫定リスト「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」の構成資産の1つである「相川金銀山跡」を見る事ができる「史跡・佐渡金山」です。江戸時代の1601年から1989年まで388年の歴史があり、江戸時代には世界最大級の金山として幕府の重要な財源になりました。
ここは江戸時代の坑道と明治以降の坑道、さらに近代の産業遺産まで、採鉱に関する施設が一体で残っているところがとても貴重で評価されています。そしてそれらは史跡や重要文化財として指定されています。
坑道は2コース。江戸時代の坑道「宗太夫坑」と、明治以降の坑道「道遊坑」です。それぞれ1カ所だけ見る方法もあるのですが、オススメは両方!(記事を最後まで読んでいただければわかります!)
写真は「道遊坑」で重要文化財に指定されています。運搬用トロッコのレールが引かれていますね。この坑道は運搬用に作られたわけですが、全ての坑道の総延長は400キロメートル(1本の道にすると佐渡から東京まで)にもなるほどで途方もない長さを掘っています!
奥に見える山、ちょっと変ですよね?なんだか頂点が割れているような・・・。そう、これは実際に1つの山が割れていて「道遊の割戸(どうゆうのわれと)」と呼ばれる佐渡金山のシンボル的な存在です。そしてこれは江戸時代の露天掘りの跡なのです。
1601年。道遊の割戸の山向こうにあり、先に開発されていた「鶴子銀山」の山師3人が発見した金脈が佐渡金山の始まりとされています。そして道遊の割戸はその初期から採掘が行われた場所の1つです。露出した鉱脈に沿って鏨(たがね)と鎚(つち)で掘った、つまり手掘りで山をあれだけ削ったのです!ほぼ垂直に掘られた割戸の幅は約30m、深さは約74mになっています。
山頂部分は江戸時代の手掘り。そして山の下部は明治以降に機械で掘ったもの。・・・下部?って思った方。そう、下部に行けるんですよ!この佐渡金山。
明治以降の「道遊坑」コースにはこの「道遊の割戸」を直下で見る事ができる展望台に行く事ができます。さらに道遊の割戸の写真を撮るのにベストな高任公園や、重要文化財にも指定されている「機械工場」や「高任粗砕場」、さらにもう1つの重要文化財の坑道「高任坑」を見る事ができるのも「道遊坑」コースだけの魅力です!
このコースは文化財のオンパレードです。
江戸時代の坑道「宗太夫」コースでは実際の坑道内にリアルな人形が設置してあり、当時の様子を伝えてくれます。ここで見る事ができる姿は採掘作業には様々な仕事があったのだという事。
例えば深く掘り進めていくうちに海水面よりも深くなり、湧き水が多くなりました。そこで水を排出する仕事をする人が必要になります。他にも崩落を避ける為に安全を守る仕事であったり、神事に至るまでの様々な「採掘に関わること」を見る事ができます。
この「宗太夫」コースは「金山資料館」にも繋がっています。模型を使ったわかりやすい展示と、箱の中から金塊を取り出せたら景品!というチャレンジコーナーも。
写真は重要文化財「大立竪坑櫓(おおたてたてこうやぐら)」です。垂直に掘られた竪坑(最終深度は352m)へ人の行き来と、物の運搬をする為の施設なのですが、こういった産業遺産たちは外にもいくつかあるのです。ですのでオススメは外側も散策!これに尽きます。
4月〜11月末まではガイドツアーも行われているので、そちらに参加するのも良いですよ!
坑道は2種類ともに要素と魅力が異なります。両方合わせて見る事で金山の歴史や採掘の流れ、さらに文化財や道遊の割戸を見る事で、とてつもない事をやってきた先人たちの凄みを感じるはず!そしてそれは「貴重な人類の宝」であると思う事でしょう。
外側にある産業遺産たちを含めても大人の平均的な歩き方で所要時間は2時間ほどです。さらに同じ町にある「精錬所跡」や「佐渡奉行所」などの関連施設を訪れると、より世界遺産暫定リストにある「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」を深く知る事ができるでしょう。
相川には古い建物も多く残っているので、「史跡・佐渡金山」プラス、相川の町で1日どっぷりこの町で過ごすのがベストであると言えます。佐渡では相川で丸1日をオススメします!
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