「お大師様」として宗派を超えて人々の信仰を集める弘法大師・空海。若き日の弘法大師は四国各地で厳しい修行を重ね、八十八の霊場を開きます。「四国遍路」とはお大師様ゆかりの霊場をめぐる旅です。
四国遍路に行ってみたい…。そう思う事を「発心(ほっしん)」と言い、すでにお遍路の旅は心の中で始まっているのです。今回はお遍路さんを「お迎えする立場」である霊場住職に“遍路の魅力と心構え”について聞いてみましょう。
お遍路さんしよう!と思いながら、そのまま放置状態になっている人の話をよく聞きます。何かの「きっかけ」がないと、なかなか重い腰が上がらないは誰でも同じです。実は今年はお遍路さんを始めるよい「きっかけ」になる年なのです。
2014年は弘法大師空海が弘仁6年(815年)に四国霊場を開いて丁度1200年目の記念する年に当たります。同年5月9日には第75番札所総本山善通寺(香川県)において盛大に記念大法要が実施されましたが、それぞれの霊場寺院では引き続き、記念法要や寺宝の公開、記念グッズ販売など様々な特別行事を展開中です。
写真は善通寺記念大法要の様子ですが、注目は右上に見える「手綱(紐)」。
この手綱はご本尊に直接繋がっていて、堂前の参拝者がその手綱を握りながらお祈りする事ができます。ほかの寺院でも同じ要領でご本尊(お大師様)と結縁を結びましょう。
さてお参り方法や順番、心構えなどを直接、寺院住職にお聞きしましたので、ご自身の巡拝の参考にしてください。
四国霊場2番札所 極楽寺(ごくらくじ)副住職のお話
四国遍路をお参りしたいと思っておられる方は、お訊ねしてみれば案外多いように思います。例えば、観光で四国に来られた際、近くに札所があれば「行ってみようかな」という御縁ではじめられる方もおられます。よく、「順番通りにはじめないとダメなんですよね?」という質問を受けることがありますが、どの札所からいかれても大丈夫です。
近年では海外からのお遍路さんも多く、その中で日本語を喋れる方は中々おられません。それでもお参りされている方の数が年々増えているのは、どんな人の中にも必ず「優しさ」(慈悲)がというものがあるからです。だから、たとえ言葉の壁などがあったとしても、なにも心配することなく、安心してお参りをすることができるのです。
お遍路の出発時期も決まっているわけではありません。自分が行こうと思った時がはじめる最良の時期です。
お遍路をきっかけとして、「生きる素晴らしさ」を感じていただきたいと願っております。
四国霊場55番札所 南光坊(なんこうぼう)住職のお話
遍路の本質は「己の心をみつめる」ということに尽きる。殊に「ひたすら歩く」という基本的な動作は、人に自ずと自分自身の内面と向き合わせ、自分自身の心を深く見つめさせるきっかけになる。
真言宗の悟りは端的に言えば「如実知自心(ありのままの自分の心を知ること)」であると『大日経』という経典に説かれる。
遍路という非日常的宗教体験の中で心と深く向き合い、日常生活の様々な悩み、苦悩の本質を自分の心に問い直すことになる。そして苦悩とは結局のところ、自分の心が勝手に迷い作り出した妄想に過ぎず、何かに執着していた自分の心を見つめ直すことになろう。
人は様々な罪悪や煩悩により汚れた心を持つが、同時に清らかな心(仏性)も汚されることなく常に持っていると説かれる。本当の自分の心に気づき悪い心を捨て、善い心を取るよう努めるのが如実知自心であり、遍路の要諦である。
遍路に資格は問わない。誰でもいつでも始められる如実知自心の実践道場として、四国遍路はいつの時代もすべての人に開かれている。このことは遍路の最大の魅力といえよう。
四国霊場63番札所 吉祥寺(きちじょうじ)副住職のお話
四国八十八ヶ所霊場が開創されて今年で丁度1200年。
この間様々な方々がいろいろな思いを胸にこの深緑の山々や太平洋、瀬戸内海など豊かな自然に囲まれた四国の地に足を踏み入れ自然の厳しさ優しさ、人情の温かさ、そしてお大師さまの足跡を直に体感されてきました。しかも人によっては一度のみならず何度も。
目的は様々です。行をしたい、先祖供養をしたい、自分を見つめ直したい、現実逃避をしたい、定年後有り余る時間を費やしたい、などいろいろです。
何か目的を持って巡拝するとより良い修行になることでしょう。
中には最愛のご家族を亡くしそのご遺影を首から下げて熱心に供養の旅に来られている方もいます。従って巡拝中に出会うお遍路さん各々を互いに尊重することが肝要です。
結願(けちがん)しますと何か必ず新しい発見や精神的な安定を得ることでしょう。また仏様への祈願が満了したことで身の穢れが落ち心身共に清浄になることでしょう。
お大師さまの分身である金剛杖を携え同行二人の遍路旅へぜひ四国にお越し下さい。お待ちしております。
四国霊場76番札所 金倉寺(こんぞうじ)副住職のお話
「お遍路をしたいんだけど、真言宗じゃないといけないの?」と思う方が多いようです。
確かに四国霊場は、真言宗開祖である弘法大師さまによって定められました。
だからといって、お遍路さんに宗派は関係ありません。
これは、金倉寺が真言宗寺院でないことからも明かです。
近年では宗教の枠をこえ、白装束に身を包んだ外国人のお遍路さんも目立つようになってきました。
「軽い気持ちでお遍路を初めてもいいの?」と思う方もいらっしゃるでしょう。
お遍路を始める動機も人それぞれ。
「弘法大師さまの霊跡を訪ねたい」とは模範的な回答ですが、「興味があったから」も立派な動機です。
初めは興味本位で始めた巡拝も、さまざまなお遍路さんとの出会いで、かならず大きな実りあるものとなることでしょう。
中には「お四国病」という厄介な病気のため、お遍路せずにいられないという方々もいらっしゃるくらいです。
「お遍路をしたい」と思ったとき、その人はすでに立派なお遍路さんです。
気負わず四国へ遊びに来てください。
きっと素敵な出会いが待っていることと思います。
いかがでしたか?
それぞれの寺院住職は異口同音ながら「とにかく最初の一歩を始めましょう」と言っています。一歩踏み出すことで見えてくる何かがあります。その何か(ご縁)をつかむことができる霊場こそ四国八十八ヶ所霊場ではないでしょうか…。
歩き遍路、車遍路(バス遍路)に関わらず、地元の方々とのふれあいが必ずあると思いますが「お接待」を過度に期待するのはやめましょう。また道中、不便に感じることもありますが、四国霊場はテーマパークではありません!不便は当たり前。それはある意味「修行」と捉えることも大事です。
各霊場住職の意見を参考にぜひ四国遍路への第一歩を踏み出してみてください。
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(2024/3/18更新)
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