池泉?庭石?わかると楽しい!日本庭園の特徴・様式の基礎知識

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池泉?庭石?わかると楽しい!日本庭園の特徴・様式の基礎知識

池泉?庭石?わかると楽しい!日本庭園の特徴・様式の基礎知識

更新日:2015/01/29 11:25

小谷 結城のプロフィール写真 小谷 結城 国内旅行業務取扱管理者、京都検定2級、温泉ソムリエ、日本城郭検定2級、国内旅行地理検定2級

全国各地で見られる日本庭園。徹底的な人工美が広がる西洋庭園とは全く異なり、方角を意識した中国庭園ともどこか違います。石にも、木にも、あらゆるものに神が宿ると考える日本人は、古来より自然に対して強い畏敬の念を抱いていました。日本庭園はそうした日本人の感覚をよく反映しています。
今回は、日本人なら知っておきたい日本庭園の見方についてご紹介します。

    表情さまざま、日本庭園の池泉

    表情さまざま、日本庭園の池泉

    写真:小谷 結城

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    平成11(1999)年、奈良県の飛鳥川のほとりに大きな池泉庭(ちせんてい、庭園で用いられる「池泉」はほぼ池と同義)が発掘され、これが7世紀後半、飛鳥時代の遺構であることが判明しました。つまり、飛鳥時代にはすでに池を擁した庭園が造られていたのです。

    日本庭園の池は、海や川を表現しています。すなわち、岩が池の中にあれば島となり、水際に並べられると荒磯となるのです。浅い池に角の取れた石を複数置いて浅瀬を表現していたり、場所によって岩の数を変えることで上流部分から下流部分を表現することもあります。

    池泉庭園はさまざまな表情を持っています。作庭者がこの池をどのように表現したかったのか、自分にはどのように見えるか、想像してみることも日本庭園の楽しみです。
    写真は二条城二の丸庭園です。あなたには、この池がどんな池に見えますか。

    想像は無限大、日本庭園の見立て

    想像は無限大、日本庭園の見立て

    写真:小谷 結城

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    海や川を池で表現すると先述したように、日本庭園には多くの自然風景を再現した演出が見られます。これを「見立て」と言います。

    水景以外にも、築山(庭園に造られた土を盛った山)に苔を成育させて穏やかな山の風景を表現したり、巨大な岩で険しい山岳風景を表現したりします。灌木類(植え込みに適した背に低い木)を何十本も寄せて植え、築山風に豪快に刈り込む(これを大刈込という)ことで大きくうねる山脈を表現することもあります。

    こうした「見立て」は日本庭園の大きな特徴のひとつです。なかでも石と木と砂のみを使用する枯山水は「見立て」の究極形といえるかもしれません。枯山水に敷き詰められた砂は海を表し、「砂紋」という文様を施すことで荒波やさざ波など海の表情まで伝わってきます。

    狭い空間に自然を凝縮させた枯山水は、禅の精神と通じるものがあるそうです。座禅をして、静かに庭園と対峙するのも良いでしょう。
    写真は伝統的な枯山水の姿を示した東福寺南庭です。

    四季は偉大なり、日本庭園の植物

    四季は偉大なり、日本庭園の植物

    写真:小谷 結城

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    自然風景に思いをはせて造られた日本庭園。自然風景が四季の移り変わりによって変化するように、日本庭園も四季による変遷を見せてくれます。

    日本庭園において四季を感じさせてくれるのは、やはり植物です。
    早春の水仙に始まり、梅や桃…。春に桜が咲き、初夏にはボタンやカキツバタ、藤にツツジ、さらにはアジサイ…。キキョウやハスの咲く夏を見届けると、秋には萩やヒガンバナ、コスモスなど。イチョウの葉が黄金色になれば、お次は燃えるような紅葉が美しさを競って追いかけてきます。

    一通りの花々が、静かにやり過ごす冬は無色透明な世界となって観る者の心を落ち着かせてくれます。そんな冬でも「何もない」という状態にはさせないのが日本庭園の憎いところ。

    樹木を雪の重みから守る「雪吊」、寒さに弱い植物に藁で傘をした「わらぼっち」、同じく寒さに弱い樹木を藁で巻いた「座巻き」、赤松の落ち葉を敷き詰めて苔を霜から守る「敷松葉」など、コートやマフラーを身に着ける人間のように植物たちまで冬の装いをして来訪者を歓迎します。

    池が鴨たちで賑わうのも冬でしたね。

    想いが凝縮、日本庭園の庭石

    想いが凝縮、日本庭園の庭石

    写真:小谷 結城

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    かつては石を立てることが庭園を造ることを意味しました。
    時代が進むにつれて石以外にも様々なものが庭園に登場していますが、石は今でも日本庭園で非常に重要な役割を果たしています。故に様々なものに見立てられてきました。1個で庭全体のバランスを取ること(これを捨石という)もあれば、数個の石を組み合わせて使うこと(これを石組という)もあります。

    ここでは、庭石の種類の一部を簡単にご紹介します。

    三尊石組…中央に象徴的な石、その石が映えるようにやや小さな石をその両脇に配します。バランスが良く、多用されています。「三尊」だからといって仏を表しているとは限りません。

    七五三石組…三尊石組同様、偶数より奇数の方がバランスを取りやすく、縁起の良い数字でもあったため、3石、5石、7石、と組んだ石組もあります。

    蓬莱島・蓬莱石組…道教の伝説では、不老不死の仙人が住む蓬莱島がどこかにある、とされています。この蓬莱島を、鋭い形の石を立てることで枯山水や池に表しました。

    舟石…枯山水や池で船の形に似た石が見つかれば、それが舟石です。形の良いものはまさに旅立とうとしている「出舟」、沈みかけに見えたらそれは宝物を満載して戻って来た「入舟」でしょう。

    橋石組…文字通り、石で橋が造られています。滝の手前に橋を架けて、深山幽谷を表現しています。一つだけの石橋に限らず、二橋、三橋と連続して設置することもあります。

    坐禅石…橋石組の近く、またはやや離れた場所に置かれた平たい石です。この上で修行僧が坐禅を組み、瞑想などの修行を行います。

    礼拝石…坐禅石同様に平たい石ですが、こちらは庭園の外にある神社や仏に手を合わせるための場所を意味しています。

    陰陽石…立てた「陽石」、寝かせた「陰石」を組み合わせて男女を意味し、そこに子孫繁栄の願いを込めました。

    その他にも、滝石組、鶴島、亀島、玉澗式…、などが挙げられます。

    写真は岡山後楽園です。左の巨岩が陰陽石です。これ以外にも岡山後楽園には複数の陰陽石が見られます。造園した岡山藩2代藩主・池田綱政の苦悩が窺えます。

    時代に応じて千変万化、日本庭園の様式@

    時代に応じて千変万化、日本庭園の様式@

    写真:小谷 結城

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    これまで庭園の意匠について説明してきました。一つ一つの庭園に込められた想いをおおかたイメージするには、これで充分かと思います。この先は、書店で庭園に関する本を手に取って深めていくことをお勧めします。本を片手に庭園を歩けば、過去に訪れた場所でも新たな発見があるかもしれません。

    意匠からは離れて、次は日本庭園が時代とともにどのように変化していったのか、順に説明していきたいと思います。

    飛鳥・奈良時代と曲水庭園
    先述したように日本庭園の歴史は飛鳥時代から始まります。当時は曲水(きょくすい)という蛇行する川のような池泉を造り、「曲水の宴」という遊びを行いました。池泉に盃を流し、これが自分の前に来るまでに歌を詠まなくてはならない遊びで、詠めなければ目の前に来た盃の酒を飲まなくてはなりません。

    平安時代と寝殿造庭園・浄土式庭園
    平安時代になると、貴族たちは自らの住居である寝殿に広大な池泉を擁した庭園を築くようになります。池泉には中島(島)があり、橋が架けられ、川を模した遣水(やりみず、池泉に注ぐ曲線の水路)もありました。貴族たちはこの池泉庭園を建物から眺めたり、歩きながら観賞したり、時には池泉に舟を浮かべ、その舟からの眺めを楽しんだのです。

    なお、一定の場所から眺める庭園を「観賞式庭園」、歩きながら観賞する庭園を「回遊式庭園」、舟からの眺めを楽しむ庭園を「舟遊式庭園」と呼びます。例えば「池泉回遊式庭園」は回遊しながら楽しむ池泉庭園ということになります。

    平安時代も中期にさしかかると浄土信仰が盛んとなり、寝殿造庭園は極楽浄土を表現した浄土式庭園へと変化を遂げました。広大な池泉に中島と平橋・反橋が架かり、これを渡りきると極楽浄土(阿弥陀堂)にたどりつくようになっています。
    写真は岐阜県多治見市の虎渓山永保寺です。鎌倉時代に作庭された庭園ですが、浄土式庭園の名残をよく留めています。

    時代に応じて千変万化、日本庭園の様式A

    時代に応じて千変万化、日本庭園の様式A

    写真:小谷 結城

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    飛鳥時代から平安時代まで、庭園は貴族の専有物でした。
    しかし、寝殿造から書院造への建築様式の変化などにより鎌倉時代以降、これまでとは庭園の様式が大きく変化していきます。

    鎌倉・室町時代と枯山水庭園
    鎌倉時代に入ると建築様式が変化しました。寝殿造から書院造への変化です。これまでの広大な庭園を造れるスペースは無くなり、寝殿造庭園・浄土式庭園とは異なる様式の庭園が求められるようになったのです。それが白砂を利用した枯山水庭園でした。

    水を使用せず、「見立て」によって自然を凝縮させた枯山水の発想は、鎌倉時代に本格的に伝わって来た禅宗と結びつき、枯山水庭園は室町時代にかけて一気に発展していきました。

    桃山時代と露地
    桃山時代は茶の湯が発達し、千利休の台頭に戦国武将が迎合し、茶室や露地(茶室に付随する庭園)が生まれました。これまでの日本庭園は自然を凝縮したものでしたが、身近な山の中に入り込んでしまったような風情を作り、意匠も控えめになりました。
    石燈籠を据えたのも千利休が最初と言われています。

    その一方で、豊臣秀吉、徳川家康らが絢爛豪華な池泉庭園を築いたのも桃山時代の特徴です。長寿を願い、蓬莱島や鶴を模した鶴島、亀を模した亀島の石組が流行しました。

    江戸時代と大名庭園
    江戸時代には再び大池泉(大きな池)を中心とした様式に戻り、各地に造園されました。
    しかし、古代のそれとは全く異なり、各地の名勝を写した縮景式庭園や中国趣味を取り入れたもの、海水を引き込んだ潮入り庭園と実に多彩です。石燈籠の姿は板に付き、中島に橋が架かっていると思えば、庭園の隅には茶人もうなる茶室と露地です。大名庭園はこれまでの日本庭園の集大成となりました。

    また、離宮(皇居以外に設けられた宮殿)の庭園も優れ、江戸中期に造園された桂離宮は日本庭園の最高傑作として名高いです。

    明治時代以降
    明治時代になると、外の景色と庭園を同化させた借景式庭園も登場。モダンなデザインを取り入れ、斬新な庭園が次々と産声を上げています。なかには、庭園をライトアップさせる取り組みまで始まりました。現在も日本庭園は進化し続けているのです。

    自分好みの日本庭園を見つけましょう

    日本庭園と一口に言っても、池泉庭や枯山水があります。さらに、池泉庭にも大海への憧憬が見られるものもあれば、深山幽谷の趣を現出させたものもあります。石一つでも不老長寿、子孫繁栄などの込められた想いは異なり、植物によって庭園の景色は一層の変化を見せます。

    こうした知識を片隅に、日本庭園をよく眺めてみてください。優しく、時にはユーモラスに庭園が語りかけてくることでしょう。その声に耳を傾ければ、自分の感性を刺激してくれる庭園、自分の美的感覚と符合する庭園が見つかるかもしれません。

    掲載内容は執筆時点のものです。

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