写真:井伊 たびを
地図を見る我孫子市寿の台地にある延寿院は、白花山と号し真言宗豊山派の寺院だ。延寿院の創建年代等は不詳ながら、古くより子之神大黒天社の別当寺だったとされ、大正7年本町(我孫子駅南口付近)より子之神大黒天社の境内(当地)へ移転された。
子之神大黒天社は、行基菩薩が彫刻した大黒天像を下総国分寺に安置していたものの、度々火災に罹災することから、宥啓阿闍梨が康保元年(964年)甲子の年正月八日子ノ日に一宇を建立して安置したものだとされている。
こちらは、新四国相馬霊場八十八ヶ所三十八番(子之神)、四十三番(延寿院)、関東三十三観音霊場二番の札所でもある。
写真:井伊 たびを
地図を見る子之神大黒天延寿院には、ネズミを使徒とする大黒天を祀っている。伝説によると源頼朝が脚気にかかると夢に白ネズミに乗った翁が現れ、柊で足を祓うと治ったといわれている。昔から、こちらでは腰下の疾患に霊験ありとされ、遠近より参詣者で賑わっている。特に桜の季節には美しい花々を咲かせ多くの人が訪れる。また文化3年(1806年)には、小林一茶も参詣したとされる。隣接地には、6世紀頃の「子之神古墳群」がある。
写真:井伊 たびを
地図を見るここの本尊子之神さまは、常に諸病を除去し、一切の宿願を叶えてくれる威神力を持つ神とされ、特に腰下の疾患にはご利益があるとされている。
この脚腰の象徴であるわらじは、健全な永い人生の歩みを表し、たとえどんな茨な道でも、すり切れることもなく、まして小判の形を踏み残すという云われである。
写真:井伊 たびを
地図を見る三十八番土佐金剛福寺写しだ。もとは子之神分で、昭和13年の再建になる。切妻造、瓦葺、正面唐破風の向拝付である。
写真:井伊 たびを
地図を見る四十三番予州明石寺写しだ。もとは延寿院の分で、切妻造、銅板葺、正面唐破風の向拝付である。
ところで、我孫子市内には、6ヶ所の三等三角点があるが、そのひとつがこの札所前にある。ちなみにこの地点は、標高20.2mである。
毎年10月の第4日曜日に「柴燈護摩(さいとうごま)火渡り」が行われる。
山伏姿の僧侶がお経を唱え、法螺貝を吹き乍ら入場し、稚児衣装を着けた子供も行列に参加する。薪を組みあげて柴をたき、交通安全、病気平癒、厄災消除等を祈念する。古い御札や護摩木を燃やして、まだ火が残っている所を山伏、信徒、参拝者の順に裸足で渡り歩く。見逃したくない行事だ。
また隣接する「子之神古墳群」は1基の前方後円墳と、13基の円墳からなる群集墳で、6世紀初頭から末にかけて造られたものだ。いずれの古墳にも埴輪があり、市内でも代表的な古墳群だ。
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井伊 たびを
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