写真:乾口 達司
地図を見る遺構展示館は北棟・中棟・南棟の3棟から成り立っており、それぞれの棟に当時の遺構やその周辺から出土した埋蔵文化財などが展示されています。その名のとおり、遺構展示館の最大の魅力は、平城宮跡の遺構の一部が発掘されたままの姿で展示されていること。
写真は北棟の遺構露出展示コーナーを撮影したものですが、点在するこの穴ぼこの数々、いったい何だと思いますか?これは建物の柱穴を示したものなのです。ご覧のように、土に穴を掘り、直接、柱を打ち立てた掘立柱の形式で建物が建てられていたことがうかがえますが、特に注目していただきたいのは、画面奥側の遺構部分。大きさの異なる柱穴が密集し、ところによっては柱穴が重なっている部分も見られるでしょう。これは奈良時代のあいだに建物が何度も建て替えられたことを指し示したものであり、一口に奈良時代の遺構といっても、時代による変遷があったことがうかがえます。
写真:乾口 達司
地図を見る一方、南棟で展示・公開されているのは、写真の遺構。ご覧のように、掘立柱の柱穴が密集する北棟とは異なり、古代のレンガ(塼)を並べた遺構が見られます。発掘調査の結果、無数の塼によって形成された基壇や通路を持つ建物がこの場所に存在していたことが判明しており、現在、その形態から当地に存在した施設は「塼積官衙」(せんづみかんが)と呼ばれています。
実はレンガ造りの「塼積官衙」は広大な敷地を持つ平城宮にあってもきわめて特異であること、天皇の住まいである内裏やそれに付設する宮内省(推定)と隣接する特別な場所に位置していることなどから「塼積官衙」には太政官と呼ばれる当時の最高国家機関が置かれていたのではないか、ともいわれています。
果たして、どのような役所があったのでしょうか。実際に「塼積官衙」の遺構を眺めながら、皆さんご自身で推理してみましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る「塼積官衙」を支える塼がどのようなものか、もう少しじっくり見てみましょう。写真は南棟に展示されている塼の実物。よく見ると、その表面に文字が刻まれているのがおわかりになるでしょう。左側には「公事」、右側には「私事」とそれぞれ刻まれていますが、これは役人が位置する場所を指し示したものであるといわれています。すなわち、「公事」の刻まれた塼のあたりでは正式な公務が、「私事」の刻まれた塼のあたりでは役人個人にまつわる事務がおこなわれていたというわけです。職務において、公私の区別が厳格に分けられていた証ですね。
写真:乾口 達司
地図を見るほかにも、平城宮跡から出土した埋蔵文化財が多数展示されています。写真は近辺から出土した井戸枠。ご覧のとおりの巨大さで、大きな木をまるごとくりぬいて枠が作られています。そのスケールには圧倒されますが、天皇をはじめ、多くの役人が公務に励んだところゆえ、一日に使われる水の量も相当なものでした。それだけにこれほど大きな井戸が平城宮には必要だったのでしょう。館内にはほかにも近くから出土した井戸の木枠が残されているほか、遺構展示館の周辺にも井戸の跡が点在しており、井戸が平城宮での暮らしを支える陰の主役であったことがうかがえます。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は中棟と南棟のあいだに集められている礎石の数々。平城宮の北西に位置する佐紀池付近から出土したもので、柱を立てるためにしつらえられた「柱座」(はしらざ)が刻まれた礎石も見られます。当時の平城宮には、建物を支えたこういった礎石がいったいいくつあったのでしょうか。
平城宮跡の遺構をそのまま保存・展示した遺構展示館ならではの魅力がおわかりになったのではないでしょうか。ほかにも、館内にはさまざまな埋蔵文化財が展示されており、平城宮跡の規模を知るのには恰好の学習スポットといえます。平城宮跡を訪れたら、ぜひ、足を運んでみてください。
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索